壮麗な宇宙タペストリー
21日の府中コンサートに参加出来まして、誠にありがとうございました。この度のコンサートでは、「全て」がありました。何がどう全てなのか、どのように全てなのか・・この世的な言葉の表現ではもう掠りもせず、追いつけもしない程の「全て」です。先生の演奏によって、「全て」は顕現し、しかも固定されたり留まることがなく、次々に生まれてどこまでも深まり、一つの大きな生命体のごとく、無限に拡大し進化してゆくばかりなのです。人間も、あらゆる生き物も、その「全て」の中に有って今まさに生きて躍動しているのです。
第二部のメッセージ「グリーンの光」では、「全て」ということが更に深まり、広がり、心の裡に展開されていきました。心の裡といっても私の心の裡は皆の心の裡とつながり一つであり、無限の大宇宙とつながり一つであるのです。それは喜びでしかありません。肉眼には見えないけれど、グリーンの光を中心に、全てのいのちが各々の「もちまえ」の光を放ち、輝き、躍動し、お互いに交流し合い、支え合い、今まで誰も見たことのない素晴らしいタペストリーが無限の宇宙空間に展開されていくのです。それはまさに「愛」そのものです。人類として今、初めて経験させて頂いていることと感じ、いのちあるものの一人としてその只中に居させて頂いていることの尊さを全身全霊で受け入れ続けていました。
「「グリーンの光」のいのちある人々は宇宙、自然が生みました。」・・というコンサートメッセージの中のお言葉が今でもずっと心にあります。宇宙、自然、という大きな大きな一つの生命体を思います。私のいのちも、隣の人のいのちも、大きな大きな一つの生命体の中にいだかれてあります。誰のいのちも一つとして無駄が無く、かけがえのないいのちであり、大きな大きな一つの生命体が永遠に輝き生き続ける、その元となる一つ一つの尊い要です。以前に京都でDVDセットが入った青い箱を戴きました。その青い箱の表には先生の筆で「世界のかなめ ひとりとして無駄のない生命」と書いてくださっていました。その時はふっと心に入ってきたその書の箱を戴いたのですが、年月が経って今その書が心に輝いて生き始めるとは、深く感動するばかりです。
私が生きているのでは無い、私はみんなであり、みんなが生きている・・。そのことはやさしいのです。それを閃光のごとくに分からせて頂けるこの度のコンサートとは、コンサートを生み出される先生とはいったい・・・と、その尊さにただただ頭を垂れるよりありません。
アンコールでの先生の演奏には魂震え、魅入られるばかりでした。深く透明な水の中を舞うようでありながら、広大な大地を疾走するようであり、同時に無限の大宇宙に飛翔するような・・・それは壮麗な大タペストリーでした。タペストリーには完成というものは無く、どこまでも未完であり、果てのない可能性に向かって、変化変容し、ますます輝き成長していくのです。タペストリーは人間が真に人間と成った姿と見えて、その姿に心から憧れますが、憧れではなく既にそのように生きられる時が到来しているのだとわかり、今までに感じたことのない喜び、ときめきが心の深奥から生まれ出でます。
13日の高句麗伝説から生きる空間は明らかに変わりました。時空超越した壮大な宇宙空間を旅するように生きられる時の到来を、心からありがとうございます。