場
京都コンサートを前にし現場で人が動くことが必要と感じ入らせていただいています。12年前、気付いたら京都にも住まいを設けており、此処の地の方々に先生や高麗様の事をお伝えしなければと本音で動いたのでした。京都は郷里と似たところがあり苦手でした。骨を埋めるまでとの気持ちが生まれた時見えた光景は全ての戸に伝え歩く行いです。コロナ禍でもあり軒並みの飛び込みは久しぶりでしたが嫌悪されるどころか歓迎されます。人は人と会い話すことを求め、一連のコンサートで計り知れず深いところまで整理していただき御人の生命も自然も境がないことをわかり時に涙しあらためて感動します。先生が毎月コンサートをしてくださり街は大きく変わりました。人も、特にお年を召した方々が変わられていることに驚きます。言葉にならない人の生命は改竄されようがないのに、歪められ嘘で塗り固めらた“歴史”に自分も惑わされていた事に気が付きました。
高麗さんの書き込みを読ませていただき、宮城で蘇り生まれた新たなる場を胸の内いっぱいに感じ涙が溢れます。この度の皆で行う活動に手応えを感じています。売らねば、伝えねばという余計な意識のない、神々の場で生きる一人となりますよう精進して参ります。
偶然、御人に会う事。お伝えさせていただけます事。チケット一枚。尊い一瞬に光をみます。
本日もよろしくお願い申し上げます。
ありがとうございます。