報いる
私には、応援団、有形無形の応援があります。1月13日も14日のコンサートも友の自分を超えた奇跡のような応援があり参加出来ることになりました。考えると受講してからずっと不可能が可能になるような奇跡の後押しがあったのです。
自分のしていることはあまりに役に立っていない、その都度に人や形は変わっても、応援団の働きに報いるには?と考えます。
ですが障害があっても人の世話になっても、認知症とよばれていても、一人一人の人間の尊厳というか生きていることの意味を仕事で沢山見ています。
自分が人の助けがなければ生きていけなくなることで福祉の意味を改めて考えます。
ギブスは不便ですが、人生のごく一部と言うこともいまは頼りの左手骨折を昨年8月にしたことでわかっています。身体全体のバランスが違うので慎重に動きます。
魂に後押しして頂いていることを真剣に受け止めて、それに 報いる生き方をと。
ありがとうございます。