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地の神


地から湧くエネルギーを感じることはあれども、いつも怒を燃やし闇を添え斜め下を向いていた。

一部は闇や怒りや消された暴力、憎しみ、悲しみなどと同じ地から湧いてきながらもまったく違う全てを透明にしていく音の渦に受け容れられ、安心して一人では苦しむよりなかった過去のサブカルチャーにより刻み込まれた暴力性や地元のやつの痛みなどを預けました。わかってくれるのに同化して動けなくなることはなく、どんどんどんどん変えてゆかれる音はまさに神業であり唯一の抜け出し口です。

二部はまた背中や腰が痛くだるくなってしまい、背筋を伸ばしていられなくなった、、、と背中に手をあてているうちに一瞬で終わってしまいました。あとは、最初のほうで、最近お世話になっている、見た目は少し怖いんですが優しい人を感じました。モフちゃんと呼んでいます。

先生が舞台に上がってこられて、涼やかなマーブリングのお着物に、キラキラ光る心模様の石を見ただけで涙が出てきました。

ありがとうございました。

人のことを本当に想っていたらそんなことしないだろうけど、自分が飢えすぎて相手の状況などに構う能力すら劣化しているために暴挙に出る。その陰湿な暴力性の闇に引きずられ、奇声を上げる。なんとか美しく表現するために耽美的であったりエログロナンセンスの世界と繋がっていく。その重なる過去に流行ったり好んだりしたサブカルチャーの亡霊に苦しむ。

今回2日ほど怒りでほとんど眠れずに過ごしました。その怒りは自覚できるものでは、全て地元にいて感じたもので、中央から入ってきて暴力的にいうことを聞かせていく組織や社会、集団、お金のエネルギーに対してであったり、暴力をされる側も苦しみ悶えながらもやり返さずに『これは成長のため』なんて信じていて、やる方からみたらどれだけ都合良い馬鹿なんだろうか、ということへの怒り。馬鹿のふりしてんじゃねえよ、かまととぶっているんじゃないよ、本当は気付いているんだろ?と、怒れて怒れて眠れない日々。でもこれは全国区でみると、私自身の見られ方にも共通するところがもしかしたらあるかもしれない。

色んなものに手も足も引きずられ、先にコンサートチケットを購入していなかったら、参加を諦めていたかもしれませんでした。

新幹線に乗り、フラフラしていたせいで最近再会して無駄な時間を過ごすことになってしまった悪友のことを思うと土地の苦しみをそのまま体内に持ち気の毒で、でも自分も『思い』にかられているものだから、講座を受講させていただいても浮き出る本質に群がった引き合う因子を持つ相手によりきっと詐欺にでもあってすぐにすってんてんになってしまうだろう、それであれば可愛そうだからこの地から出ずに講座も受けずに過ごしたほうが幸せではないか・・・などとコンサート前ということもあり完全に一人よがりになりわけのわからない思いの渦の中混乱し、一人でパニック、一人悶々と南へ向かい移りゆく景色を見るのでした。

いまはパニックも治まり、バスの中で一眠りもできました。三鷹市公会堂の地とコンサートの御利益にあずかり、ありがとうございます。

今回は電話で東京の話を聞いてくれた人にも八つ当たりをして迷惑をかけました。

よくわからないしそんな場合ではないのに口車に乗せられたりおだてられたりしながらいらないことを引き受けてしまい、一人苦労してまわりにもいらない迷惑を飛び火させてしまいました。そんな状態からは時間もお金も逃げていってしまいます。『なんでこの人のためにここまで自己を犠牲にしているんだろう?』と不思議になるのです。でも、組織や集団に無駄に前向きなエネルギーが関与しているので、相手もそのおかしさには気付きません。あの日、やるべきことを後回しにせずにやるという決断をしていたらこっちは選ばなかったのに、、、と悔やめども時は戻らないのでした。うっかり似た因子を感じると気の毒になってしまう。少し前に話題になっていた『同情』『情』の問題が私は今出てきたので少し乗り遅れてます。

でも先生の地の神の演奏から体感しました。相手と同じ所まで深く深く行き着き一つになりながらも決して飲み込まれるのではなくて変えていく在り方。その在り方はうっかり同情に飲み込まれそうになったりしたときに、そうではなくて変えていくエネルギーです。

まともに生きようとすれば狂うよりなかった時代の終焉をありがとうございます。

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