在ることそのものが幸せを現す
コンサートが始まるとまるで天が地に降りてきたのか、あるいはいつの間にかピアノの音とともに天へと誘われたのか、素晴らしい世界が広がっていました。存在そのものが幸せの人、存在そのものが愉しい人、この空間では素晴らしい美しい人々と出会いました。その人がただそこに存在するだけでその場は幸せに満ち、この人がただここに存在するだけで愉しさが広がる、このように生きている生命があるのかと驚きました。在ることそのものが幸せを現している、このように生きていけたらどれほど美しいか、異次元に在る存在に触れ、私もこの空間で共に生きていきたいと望みました。いつまでもここにいたいほど美しく愉しい空間は止まることなく凄まじいエネルギーをもって何かへと向かっているようでした。
第2部では具体的に現実的な事柄をどのように進めていくかを考えていました。生きている限りやり続けたいことは一つ軸として自分の中にあり、さらに好きなことややりたいことやってみたことなどが起点となることには、もっと現実を見ろと諭されているようでした。自分自身の身のこととして地球環境の現状、現実が迫る今、自分のやりたいことなどゴマ粒ほどにちっぽけで、これから刻々と変化していく環境でいかに生き延びるかを問われ続けていました。気候変動に伴って暮らしが厳しくなることもまた食糧難の時代が来る可能性があることも、今からどのようにして手を打ち乗り越えていくのかを考えていました。テクノロジーを解決の一つの手段としても、独りでは決して生き延びていくことなどできない、共に生きているという強力な連帯、生命の繋がりあっての知恵や創造性であることをよくわかりました。未来のために今のままでは太刀打ちできない限界を乗り越える頭脳に変容することを心から望み願いを託していました。人の希望が奪われていくことが平気で行われることの多い日常に、生きる希望をつくることが自分たちのやるべきことだとお腹の底から生まれていました。希望を奪うために存在するなどということはあり得ないと感じ、生きようとする力を皆で支え増やしていくのだと感じていました。方向性は今ある現実をいかに正しく理解するかから見えてくることを学びます。
毎日多大な情報を得、生命は変容していることをわかります。
心よりありがとうございます。