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国造りの精神


大和郡山高句麗伝説を終え三日間にわたる経験を、誠にありがとうございます。私たちに続く未来の子孫に渡り生きるための土壌をこれまで創られていることの意味をわかる経験を古都奈良で、今より深くわかったことはありません。高句麗伝説の経験は、世界を通じて人間であればどなたにも必要なことと感じます。生きるための精神は、世界に共通すると感じるからであります。この度は、飛鳥の詩で、聖徳太子と血肉を共にしたと言われる飛鳥寺の高句麗の高僧の悲しみが内なる気持ちとひとつになり、涙が今も、こぽれます。本当は、仏の教えを勤めるという形の中に秘めるようにありつづけた状態は、国造りの精神であったのではないかということです。そのギャップに苦しんだ真はあったのではないでしょうか。日本に仏教が伝わる前は神道でありました。家の母の祖母は朝庭に出てよく太陽に手を合わせていたことを今も母から聞きます。その子孫として生まれた私の内面を辿るような気持ちが、この度の舞台の中で起こっていくのです。その時、真の歴史は人の生命の中に宿ると、詩の中で、なんども魂は光に出合う連続を経験するのでした。生命に宿る真がこの世の中に現れてきた時、人はどのように動くのでしょうか。また、戦争で多くの人の生命が犠牲になったこの世の中において、過去の魂が報われることなくして、今生きる人が幸せに生きられることはない、という真を、どれだけの人が分かっているでしょうか、運命を身に付けた内面では愛はとうてい分かることはない、詩をお聞きしながら目の前に現れてきたものは、本音で生きて下さい、の黒い表紙の本だったのです。この本が、慧慈と聖徳太子をひとつに結ぶようにしてありました。本音で生きて下さいの本は、天を表す高句麗の精神の本でありました。精神を亡くしては国は滅ぶと、日本は亡国の危機にある、と、海外の方にも云われていた言葉を、帰り道思い出していました。高麗の看板を次々と立てられていくことの意味の深さと今、ひとつになります。人間はどう生きればいいか、亡くなった人たちの成仏のやり方も形式上であり、すべてが曖昧な世の中に、感受性の豊かな美しい純粋な生命は生きていけるはずがありません。先生と高麗さんに出会え、真がわかり、はじめて、生きる力となり、人間として生きる意味を育むことができる、ありがたい人生です。生まれた地は、周りは敵地に囲まれ、悪環境のなかにあり、敵に準ずる魂で生き、それでも隠された真はありつづけ。。当時の有り様が我が身の魂が目に浮かぶようでした。先祖代々、敵も味方も色々ある中にも、子孫に受け継がれた高句麗の魂の存在は内なる内面にもある、はじめてわかる状態が続きました。生命の歴史を垣間見れ、我をわかることは、先をつくる力となります。これも、歴史の縦軸を生きる高麗さんの音と、空間を表す横軸の先生の音の交差するど真ん中を経験できる賜物であると感じます。本日中、おおいなる存在のはたらきかけを受け、出会えた人とは、これからが希望であります。この日を創り続けてくださった総ての方々に、感謝申し上げます。世界平和への道を歩む、大和郡山高句麗伝説、ありがとうございます。

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