国うみ
夜の間に、疎外という土壌の上に生きる生命の虚しさ、行き場のない不安を感じる今までの世の中であった事を生命で感じました。人間が生きられる社会ではないと常に感じてきましたが、やっと光の大地に根差し、光ある生命のままに生きられるDivine Ageが拓かれたと夢の中でも教えられました。そして、本日のコンサートは、この時の為に生まれてきたと生命全てで喜び感謝に震えました。生命の深奥で求め続けてきた世界はここでありました。第一部のコンサートメッセージ「命が懸かってわかること」とのタイトルから、胸の奥が動き、ドキッという音まで聞こえる様でした。そして、「存在を問われます」から始まる大変深いメッセージの内容に、内面深くを辿っていかねば、わかる事ではないという事を感じました。演奏が始まり、大変驚いた事に大いなる存在と一体である生命を感じたのです。先日のアントレプレヌールサロンがあった夜、ノートに生まれるがままを書き出した時に「大いなる存在の詩を書いてみたい」と書いた瞬間、畏れ多い事を書く自分とは何なのか、と考え始めました。不遜にも試みようとした時、大いなる存在を対象化する存在とし見ている事を自覚し、言葉は見ている図形を表わす表現より生まれませんでした。これでは次元が違いすぎると頭を垂れ、真っ当な人間とし生きる事よりないと行き着いたのでした。ところが、本日のコンサートにて、大いなる存在と一体になっている自分に気づいた時、信じがたい出来事に夢を見ているのか、現実であるのか戸惑い、驚くばかりでした。更に驚いたのは、汗が流れ落ちてきたのです。ただ椅子に座っているだけなのに、流れ落ちる程の汗までかき、体中熱くて熱くて、温泉に入っている様でした。その時生まれる言葉は、いつも目に見えない世界は図形で見えるのですが、図形を見て生まれる言葉ではなかったのです。私の生命の表現でした。その時、自分の生命の内に神が宿っている事を自覚しました。大いなる存在ひとつになり自分の内に宿る神性に目覚めたのです。大いなる存在の詩は、大いなる存在とひとつになり生きる生命の表現とわかり、言い様のない喜びに震えました。生きてこの様な事をわかる経験が出来るとは、望んで止まない生き方がここに実現しています。もうこの経験だけでも夢の様な心地でした。そして、続く第二部の始まりの第一音から夢にまで見たと表現しても夢にも見る事が出来ない夢の様な心の奥底から求め続けてきた音が生まれたのです。空間も何もかもが違う世界になっていました。その後の先生の表現は、国生みと感じました。国が生まれる時はこの様な状態なのかという事を全体でわかる先生の演奏は、大好きでたまらない魂震える感動する演奏でした。私はこの音を聞き、この場面に遭遇する為に生まれてきたのだと生命全てが喜び、感動に震えました。求め続けてきた世界であります。求め続けてはきても、自分では描く事も出来ない世界です。表現されて初めて、この世界を求め続けてきたとわかるのです。今でも瞼に浮かぶその時の光景は、最も望む世界です。白頭山の朝焼けの様な、神聖ななる神が誕生し、新しい時代を創る、歴史が変わるドラマチックな朝焼けが見え、神々現われ、隠れ潜んでいた神々までもが息を吹き返し、蘇り、先生の音に合いの手を入れているのです。私には確かにその音が聞こえました。神共に演奏されている音と聞こえました。あまりに美しい、思い描いた事も、想像する事もできなかった美しい世界が展開しました。私はこの音を聞いているだけで幸せ、と生命全てが、喜びに満たされました。最後のアンコールでは、生命の内に見た事もない美しい光を見ました。光の玉を磨く様に生きていく事を教えられました。この光は、誰も侵す事も、潰す事も出来ない真の光と深い感動に震え、演奏が終わりました。見事な終わり方に更に感動し、完全に新しい時代を生きていく生命と生まれ変わりました。人間の生きられる社会ではないと感じていた、今までの人間の世界が変わっていく事の希望で一杯となりました。胸の内は、国が生まれる白頭山の朝焼けの様なドラマチックな光景が広がっています。今日のこのコンサートを聞くために生まれ、今まで生きてきたと只々深い感動と感謝で一杯です。感動のままに今日は休みます。ありがとうございます。