四十九日
先週は盛岡、仙台での講座、コンサート、講演会をありがとうございました。
昨日は東京・六本木で高麗さんのビデオ講演会に参加させていただきました。昨日は母の四十九日で、家族と食事をした後に兄と一緒に参加しました。ここ数日はとても苦しく、心を失ったような苦しみで中心を感じられず、外側をぐるぐるとまわっているようでした。
四十九日の昨日も含め、母が亡くなってから3回、高麗さんから同じ質問をいただき、昨日はちゃんと考えないといけないと感じました。療養していたり、どこか具合が悪かったわけではない母の突然の死は、脳でも心臓でもなく、はっきりとしたことはわからなかったので、わからないとそれ以上考えることも向き合うこともしていませんでした。あまりに突然のことで、今日まで直視できず、受け容れられていなかったんだと気づきます。初めて悲しみを悲しみと感じられる状態となり、胸の奥から悲しみと涙が溢れてきます。ずっと苦しかった胸の奥の塊は悲しみでした。表現できると悲しみも胸の奥の塊もなくなり、開かれていくいのちであること、先生と高麗さんの存在に深く感謝の気持ちが溢れます。
母の死を考えはじめてから、初めて死体検案書も見ることができました。現実を受け入れることから先は開かれるのを感じ、頭が働きだし、人間としての心、内面を取り戻していけることが何より有難く、心から感謝いたします。
内面が開かれると色々な気持ちが生まれてきます。四十九日という節目の昨日、やりたいことが生まれていました。それに気づいてから、色々なことが生まれてきます。さっきまで泣いていたのが嘘みたいに新しいことがはじまっています。
死を考えることが生きることに繋がり、これから何かわかっていけるような兆しが胸に広がります。人間とは何かを探究してくださり、答えを得られた先生がいらっしゃるから、私たちも真をわかり生きていけることが希望です。
いつもありがとうございます。