囚われず
今日はお金に囚われず動こうと決め、午前中は妊婦検診に行き、午後はお店を開けました。奥さんも子どももいる60代前後の男性に、お腹のこどもに触れると見せかけて冗談のつもりでしょうが胸を触られたことにとても嫌悪感を抱きました。人の嫌がることをわかる感性が、甘えたいという成長できなかった溢れる欲に覆いかぶさられ、わからなくなってしまっていることに、恐ろしいものだなと感じまして、これを読んでいらっしゃる受講生の50代以上の男性は、なにとぞ同じようなことを他所でなさって恥をかかれることのなきようにと、こちらにしたためさせていただきました。人は、成長出来た部分と、成長できなかった部分があり、本来球体であるいのちがぼこぼこにへこんだりしているとお聞きしています。人生の最初でぼこぼこになる要素が大きいことは選べないので自分も含めて、当人のせいではないともいえますが、出来るだけ、いだき講座も受講させていただいていますし、自分で気付き成長していこうと決意を新たにしました。また、まだまだそういうことを相手に「させて」しまうものが自分の中にあることも自覚しまして、人に対して「どういう神経をしているのかわからない」と感じたとしても、現象を呼んだのは自分なのだよなと振り返ります。
「ともかく、美味しいコーヒーを淹れられるように。」浮かんできたこの言葉に救われ、いちいち塞ぎこむことなく、今日を終え明日を迎えられます。
検診ではお産の動画に感動し涙ぐみましたが、助産師さんに比べるとお医者さんはドライだなと感じ、こちらもどこか書類だらけの乾いた気持ちで帰宅しました。お腹の中はお陰様でとても元気です。これから、自分のこれまでの良いところは残しながらも、しっかりして、それでありながらお金や現実的なことに囚われて動けなくなるようなことはなく、生きていくのだと、自己の中心を見つめました。1日をありがとうございます。