問う
先生に問いかけられても一言も、アーもウーも一音も発することも出来ない自分でした。
存在を問うことが出来ない状態を瞬間超満喫!気持ち悪い焦燥。
先生のお話を聞きながら「問うっていったい誰に問うてるんだろう」と疑問が湧きました。自分以外の自分ではない何かに問うのか?と浮かんだところ、先生は自分に問うた、とおっしゃいました。そうか、自分に問うてるのかと導かれました。その自分て何だろうと不思議でした。
自分を問い、何者にもコントロールされないところを問い、肝臓の話が出て、施設の酒大好きおじいさんの話は肝臓探求の流れの中にあったことを知り、さらにまた驚き 深まりました。肝臓を悪くしてもなお飲みたいお爺さんの、ある意味、すさまじいストレートな何者にもコントロールされない要求に圧倒されました。いいとか悪いとか、越えてます。
そこまでとことん付き合うことを「福祉」と仰る、福祉って…深い! 自分は福祉のこと、何にも知らないと知りました。
解剖学の先生のお話も出てきて、その方が細胞の絵を描いて問うことされていたと伺い、絵を描くことは「問う」ことなんだと、おお、と膝を叩いて喜びました。
最後は言葉で決まるとのお話にまたう~んと一言も発することができません。ロゴスということばが まるで生きもののように、不思議に響きます。
明日から大きく変わる、とのお言葉、11月1日のコンサート大変楽しみに伺います。この日は夜勤で、スタート時間を遅らせてもらえるようごり押しして頼みながらの参加です。沖縄の方でもあり、日付は昨日になりましたが首里城のショックもあり、本日のコンサート一生懸命聞かせていただきます。
それにしても人間とは何か、とか自分は何なんだ、と問うことは、今まであってもほんの瞬間よぎるくらいで持続せず、すぐに忘れてしまうようなことでした。でも、本日、この問いはずーっと続けていきたいことだと了解でき、うれしいです。問うてはいけない気配が実はありました。自分とはと問おうとすると、自分なんか、という評価でシャットアウトでした。自分てなんなんだと問い続けてもいいんだとわかり、問うていく始まりとなります。まことにありがとうございます。