命懸け
年初の京都応用コースをありがとうございました。
会場に身を置き、講座でお話しをお聞きすることで、胸の奥で感じていた違和感が明らかとなりました。それは、「気づく前に間違えたことをやらない」というお話しに、やはりそうであったかと感じたことです。人間の命の働きに関することは、取り返しがつかないような過ちとなることがあるためです。
命の働きに気づいたのは全ての事が起きた後でした。一度良い経験をしたら戻ることができないのが命の働きだとすれば、良い経験をいかに「継続」することを考え実践するのが人間の正しいありかたと考えます。しかし、期間の長短に関わらず、良い経験をした状態のままで、中断もしく中止してしまうことは、飼い殺し状態に等しい命の断絶を意味します。とりわけ人との関係において、一度交わった命に対する上記断絶は、人間としてあるまじき行為と受けとめ、長らくこのことに気づくことなく自分勝手に生きてきた己の浅はかさと愚かさを自覚し、人の命を翻弄する恐ろしい自らの行為を省みると、大変申し訳ない気持ちで一杯です。ジェンダーで先生からご指摘を受けていたにも関わらず、そのことに深く考えが及ばず自身の考えに固執してしまった当時の自分は、命のことをわからない頭が思考停止状態にあったものと考えます。向かう方向が違えば、直感と内面で違和感を事前に察知できるというお話しが、唯一の手掛かりであり現在の救いです。それも、生きかたの方向が定まっていることが前提とのお話しに、何時も命懸けで人と向き合える状態にあるには、人間として全うに生きるより道はないことを、年初より深く胸に刻みます。
ありがとうございます。