命は一つ
私の家の近くに畑があり、そこの一角に薔薇などの花が咲いています。毎日横を通る度にフェンスを覗き込むのが楽しみです。咲いている花に話しかけています。畑の花は野性的で逞しく、そこら辺に咲いている花とはまるで異なります。晴れの時も雨の時も、風が強かろうが、どんな時もしなやかに揺れながら咲いて朽ちていく姿を見ています。私は、その姿に最後の最期まで生き切る生き様を、花から教えて頂いています。秋晴れの風が気持ちいい朝に行ってみると、ナニワイバラが風に揺れていました。小っちゃな花を精一杯広げ光り輝く姿は、お日様を喜んでいる声が聴こえてきます。二日目の三鷹コンサートでの第一部「新生命」では、朝の光景が瞼に浮かびます。力を抜いて、ゆらゆらとしなやかに、軸はブレずに生きること。限りなくやさしい世界です。腰の中心から、あたたかさが全身に広がり、自ずと胸を開き姿勢を更に正しました。身体が熱くなると、私も花と一つとなり風に揺れていました。第一部が終わりました。
第二部では一転して途中胸が苦しくて、どうにもなりませんでした。思わず、手を胸に当てて考えます。先生の表される新生命の愛の世界と、自分の心臓の動きに違和感があり、合っていないから苦しいと分かりました。胸騒ぎがするように、不協和音となっています。何一つごまかしのきかない愛とのメッセージが蘇ります。新生命とならなければ、もはや生きていけないことを身をもって分かりました。どうすればいいのか、苦しい中で身を委ねていると、気づけば違和感は消え失せていました。命は一つであると、はっきりと分かります。一日目に続き、二日目も新しい生き方を教えて頂き、今しっかりと身につけねば呼吸すら苦しくなり、生きていけないと体感するコンサートです。抜け出せたことに心底安堵しています。まだ二日目でありながら、とんでもない経験を日に日にさせて頂いています。気を引き締めて参ります。ありがとうございます。