命の花火
ロームシアターへと無事に着き、9月11日のコンサートに参加させていただけたこと、ありがとうございます。
千葉はまだ停電の復旧の見込みがつかない地域があり、実家の家族がいる木更津はあさって以降の復旧になるとコンサートから帰った直後ニュースで知り、愕然としましたが、愕然となってからすぐ、妹から電話が入り、たった今、電気がついたという知らせに、やったーー!と、飛び上がりたかったです。しかし、まだ復旧がない地域があり、命にかかわるギリギリのところに来ているのが本当に歯痒いおもいです。いろんなことが重なっているからとは思いますが、本当に早急に復旧してほしい気持ちでいっぱいです、
一部は、体も、頭も、芯からほぐれていき、眠ってはいなくても意識が何度も飛びました。コンサート前に、お腹が空いていたので、おむすびとミニパフェを食べたのが悪かったのか、急激に胃が張ってきて苦しくなっていました。胃にも負担がかかっていたことは自覚しています。意識は飛び、胃は張っているなか、後半になり、暗闇に花火が打ち上がっている光景が前面にあらわれました。それも100連発以上の華々しい花火の連続打ちです。命の花火でしょうか、連発して咲いていきます。なんとも華々しい打ち上げは光りの花火です。命の花火が夜空前面に圧倒的に打ち上げられ一部が終わりました。
二部は、いろいろなことがあったのに今はすべては思いだせないのです。ただ、とちゅうで、アナログとデジタルのことが浮かんでいました。パソコンを銀座に買いに行ったとき、ときめいてならなかったのです。未来をみたのです。たしかに未来があったのです。ちょっとだけ首をつっこんで始めたことはあったけど、中途半端にしていました。アイデアが浮かび、はじめても、作り終えると満足して止まる癖は成功体験を作らずにいるからです。アナログとデジタル。先生の目にも止まらないピアノを弾く手をずっとみていました。力を抜くこと。。どうやれば、ではなく、抜けばいいと教えられます。
妹のことが胸のうちに大きな存在で出てきました。母のことから、家族のことをすべて引き受けてくれています。停電のなかしっかりとがんばってくれる妹のことが大きくありました。だから私は妹のぶんも大きく生きて先をひらいていかなくてははらないのです。このたびの台風は大きなことを残していきました。もっと強くならなくては。一部でみた光りの華々しい花火の連打は希望の花火でもあります。アンコールのラストで、もう一度、芯から体の緊張が抜けました。
このたびの京都のコンサートは今になれば台風の影響から、家族のこと、共に生きるとは、今の時代何が起きるかわからないなか、強い精神にならなくては生きていけないことを学ばせてもらったと受けとめています。
すへてにありがとうございます。