KEIKO KOMA Webサロン

命の力


凄かった昔の武将の時代、あの時代は人間だった(人間らしかった)、という表現を耳にするたびに「現代人ですみません」という気持ちにさせられる平安時代、宇宙と交信していたというさらなる昔昔・・・。そんな頃にも開かれていなかった人間性の時代が今開かれていて、私たちにそれに乗れる可能性にあふれているなんて。一生懸命別のもの、別のものと、模索し、なろうとしている自分や周りをおかしいと感じはじめ、それだけみんな「本当の自分はだめだ、出してはいけない」と当然のように思っている、それらのこれまでの悲しい在り方。そんな在り方に気付き変えていく中では、本当の自分を出すための「お行儀」も当然学べていないので、「本当の自分でオッケーー!!」となんでもかんでも、いつでもどこでもそのまま広げてしまって間違いを犯してしまうなどの、新たな学びを必要とする場面もありますね。「新しく生きる」ために、新しく身につけること。その変容は自分にとっては身がすくむほど衝撃的だったりもしますが、先生や高麗さんのいらっしゃる時代に同じに地上に生まれたからには、普通の人生はないものだと承知しています。

先生の「ネガティブコロナ」という可愛らしいオンをお聞きしながら、体がずっと楽になっていくのを感じ、笑顔になります。感じること、気になることは必要な情報になりうるので本を沢山注文していたら「積ん読の神」のように現在なってしまっていて、そんな神様はいるのかわかりませんが、整理していく「いのちのちから」の必要を感じます。日本人の苦手という19世紀のロマン主義のお話もありました。「ロマン」は調べてみると「ロマンチックな事柄や気持。(Oxford Languages)」では「ロマンチック」とは?と調べてみますと、「現実の平凡さ・冷たさを離れ、甘美で、空想的・情緒的または情熱的であるさま。浪漫的。(Oxford Languages)」講座受講前は、そういったロマンある小説を原作とした舞台や、音楽が好きで一人で、よく鑑賞していました。先生のご家庭も、お仕事でたまにしかお帰りにならなかったと伺っていますが、ロマンのあるご夫婦のご関係、空気であられたことは想像に難くありません。なんだかネガティブコロナや「こうしないと怒られる」等の観念の中で、ロマンはすっかりと忘れ去ってしまっていました。

いままででいう発酵食品から何から神様がはたらいて創っていらっしゃるというお話にも、発酵食品の本を読んでいたところなので「やっぱりそうか」という気持ちです。神とひとつに生きるのが人間、という定義が当然のものであれば、それは「人間が創った」ともいえますが、神様とバラバラなニンゲンでは、不可能な発見でありましょう。発酵食品の本を読み過程をさらいながら、このように醸成されていく素晴らしい文化を知ろうともせず、己の手で捨てて、効率のよいもの、簡単シンプルなものばかりに食指を動かしてきた過去は愚かでした。また当時若かった私や周りの人をそのようなレールに乗せるように働いた資本主義のえげつなさは、当時の若い人の感性や人間性を殺す、つまり将来の大人たちが優れて働く状態をつぶしていくものであったとも恐怖します。年を重ねてきてやっとわかるのですが、今は今だけで成り立っているのではなくて、今は未来へも繋がっていくものです。それでありながら先生のおっしゃった「なんでこんなに適当なのに運が良いんだ?」という「真面目不真面目」の出来事も起こるので、ひたすら今を真面目に生きていれば良いということではありませんが。

ここまで書き込みをさせていただいてありがとうございます。

 

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歴史の大ロマン
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魂の復興
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東京高麗屋にて