吹く風蒼穹(そら)へと
11月1日早朝未だ夜が明けていない闇の中でどこかのはうまれたての細い三日月が見送ってくれたからでしょうか。早朝の車窓から東の海がだんだんとオレンジ色のに染まり。人が多くなっていくと同時に何度も朝日が違った光景を見せてくれます。水平線から火の玉のような大きな朝日が昇るころには人の営みが始って座ることもできなくなりました。身を運ぶことは道中に見る光景や出会うことで感じる感動でも大きな感動を得ます。特に自然の中を長い時間かけてのる昼バスが好きです。
自分の状態、私は心配や不安で小さなことや気がかりなことに気を取とられていることが多くあります。今回も息の車中で失敗にきがつき付きました。それも全てが自分の不安から起こしていること。。とにかく頭が小さいのです。その状態を作っているのは自分iの状態が引き起きしているが多いのですが、この度の高句麗伝説ではいろいろな楽器の音がそんな余計なことを考えている間もなく体に直接響いてきます。身体がいのちが揺れて浮いているような感覚。それこそが宇宙です。
はるかかなたの中心という言葉が頭でなくわかったと言えます。永遠という言葉も愛という言葉も高麗聖子さんが表現するから世界中に響くのです。
ありがとうございます。