向き合った。「裁く」がいた。
高麗さんありがとうございます。ビデオメッセージ、YouTube上で拝見しました。
あっ、染みる。感じ方が変わっていたことに気がついた。
今までは「皆と一緒に最高の人生を生きて」がどこか自分は蚊帳の外のように感じていた。嫌だったのがそうではなくなった。最高の人生を送りたい。一歩踏み出した私を受け容れて下さっている。ほぐれて、目の前が晴れるのを感じていた。めちゃくちゃ怖かったけど、踏み出してよかった!
引き続き、自分だけが幸せになりたい、自分だけが幸せになりたいの犠牲になるのではなく、皆で幸せになることをしたい。そしてそんな人達と動きたい。
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そんなことをメモ帳にも含め諸々書いていると、手放したい心のコリがあることに気づく。毎回同じことを言っていたとしてもいいじゃないか。
キリがないことはすぐいっぱいいっぱい。不安を解消しようとする完璧主義がそうだよな。お金にしろ、時間にせよ、言葉にせよ、それに気をつかうこと。皆で幸せになることに使おう。
本を読んでいたら、疲れを取らないのは違うんだ!と発見。まずはお風呂に入る。キレイにしよう。「そんなことをして何になる」口癖が出てくる。あっ!!!裁いてたんだ。
「裁く」って根深い。デカイ。コリ。先生が応用コースでおっしゃってた「無我夢中」。これを遮ってくるのも「裁く」が一つにはあるんだよなあ。
よし!裁かれてつらかった思いが報われるためにも動こう。
やさしさ発揮。
中川秀之
以下は独り言。
辛かったね。裁かれて。これからはそばにいるよ。励ますよ。