KEIKO KOMA Webサロン

同じ舟に乗る


2月1日 とても大切な日にビデオ講演会に参加させていただき、その後の催しにも参加させていただき、ロシアの大地に生き抜いた人々と、同朋と分かれ、日本海を押し渡って日本を目指した人々のことがずっと心にあります。

本当は波くらい平気な高麗さんが極端に海を怖がる反応をされるお姿にご先祖から受け継がれた悲しいことがどれほどのものであったことかが伝わってきます。

受講前、初めて参加したコンサートの演奏中、仲間同士で殺し合わなければならない悲しみが白刃を交える映像と共に身の内から溢れ、受講後、日本海側で開催されたコンサートではその続きのように海を渡る悲しみと、わたってからもなお仲間との戦いが絶えない悲しみがわきだしました。

世界各地の鉱物の取引をやっていたころ、半島であれ日本であれ、北日本海の港に着ける貨物船は要注意であり、総トン数5千トン以上をチャーターする必要がありました。4千トン以下では危険だからです。あくまで鉱物を満載する場合の話ですが、4千トンでは危険な海に向かって、陸続きの大地ではなく、どぶ板の底は荒波の船で向かうのは余程の見通しと志なくてはあり得ない行動でしょう。

どんな舟だったのかは知りませんが、漕ぐものなら、皆で漕がないと、誰かが漕がないと皆が危なくなり、少しでも先へ進み続けないと遅くなるほど危なく、乗ったからには漕ぎ続けるしかありません。

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比叡山から仙台への道中にて
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