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古代湖の畔で集う国創り


琵琶湖の畔でのコンサート参加するまで、朝ホテルを後にし、ずっと飛び込みをしておりました時、商店街の中の方々とお話しすると、関西弁のイントネーションが自身の訛りとなじみ、言語圏が同じであるとやはり親しみ深いものを感じました。夜に商店街で購入した万願寺を料理する瞬間そこの店主の声が木霊します。縄文時代の遺跡がびわ湖の水が流れている福井の湖でも出没していることを話すと、ああこの辺だったら野洲だよ、と教えてくれました。後から調べますと野洲あたりは遺跡銀座と言われ、古代には国があったと知ります。

それと関係するのかわかりませんが、

びわ湖コンサート第一部でのはじまりのピアノの音の顕れから生まれる言葉は、国顕れる、です。京都応用のピアノの音からも、同じく、国顕れる、と感じました。胸の奥深くしみいる音。アンコールの音も、国顕れる、を感じ、国、国の連続であります。本音で生きて下さいの放送のバックで流れるピアノの音も国顕れる、同じ空間を感じています。コンサート第一部がはじまると、すぐに、体が地から離れ浮上していきました。どこまでもどこまでも宇宙に引っ張られ、宇宙空間に浮いておりました。光が眉間から差し込み首の後ろを通って背骨にそって光がまるで生き物のように体の中を走っていくと同時に体がまっすぐに光に支えられ矯正されているような状態です。骨の中を光が洗っているような感覚です。途中、深い青、青緑色の葉が沢山重なり美しい光景が見えます。ああなんて美しいのだろう。と。二部で後半になると、今度は私は地球の内部の鉱物、水晶のような透明で輝く存在を音で表して下さっています。体全体が光そのものとなり輝いている体感です。宇宙と交信し音は内面に宿り、宿った体は宇宙と交信し、宇宙から内面に注がれる光は音に表され、体が媒介となり宇宙に何かを送ったりもらったりしているのです。何を伝言したりもらっているのでしょうか知りたいことです。ある時、あまりの体感に、男女の性別を抜け出し、大きな者になって笑い出したのです、自分でもなぜ笑い出したのか畏れる気持ちです。存在に出会ったったのか。おおいなる存在ひとつに笑うよりない、この世がちっぽけで人間のありさまに笑うよりなかったのか、高次元の世界が顕れ現実とのギャップに、笑うよりなかったのか。二部で流れる涙はいつのもの涙ではなかったです。本性顕れる国創りのコンサート。ありがとうございます。

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