北緯40度の地へ
盛岡の友とラインや電話て近況伺い待ったなしのいのちにせかされるように動きました。どれほどスカイロケットセンターに伺いたかったかしれません。魂動いて止まずただならぬ日々の一日一日をしかと分かり今日盛岡へ参ります。武者震い起こります。旅立つ直前招待状が届いており封を開けそこが敬愛してやまぬ松本清張さんの名を冠する賞の受賞会場でもあることを知りました。大宅壮一ノンフィクション賞の受賞者を祝う参列者の一人として呼ばれたのですがまるで励まされたように感じました。同時に惑星のように中心を望んでいることの危うさを感じ身を正します。
先生のお話に度々登場する青地晨さんの塾はやがて日本ジャーナリスト専門学校に変化を遂げ30年前に偶然の巡りでその卒業生の医療ジャーナリストに師事し電子メールにて当時は珍しかったネットニュース配信等で生きてきました。私は小説を書いていますが視点はジャーナリストから抜けられません。
多くの方のおかげで今があります。今未来開く先駆の大事業をなさるいだきしん先生、高麗恵子様、ボランティアの方々の元に多くの人の助けで向かうことができます。いだきしん先生、高麗様、誠にありがとうございます。対象化できない、とはくさび打ち込まれた如く胸にございます。ただ参じられることを喜びと致し参ります。誠に本日のコンサート開催をありがとうございます。