北山での途轍もない経験
京都コンサートホールでの経験は途轍もないものでした。何回も行っているのに久しぶりと感じた道中でした。
今朝がた夢で誰かに自分の状態をしきりに訴えている自分がいました。
確かに自分は度重なる骨折、目も見えにくいなどで動けないことがあってそれこそ毎日体と向き合っているつもりでした。手すりを持たないと階段の登りおりが怖い、誰よりも歩みが遅い、道のちょっとした段差が怖いなどなどです。書いてて昨日のメッセージの通りだなあ、とわかります。
一部のパイプオルガンで喝を入れられたように普段の状態が露になります。
頭の額当たりの前頭葉に光注がれたように暖かくなります。
初めてのことに驚いていたら体の手術した股関節のあたりを何かが何かが治してくれているような感覚がありました。
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あたまが作り出していることの限界を吹き飛ばしていただいたような経験でした。
未来は未知です。
どんなに科学が発展してもあすの空模様は正確に予測できません。雨が降り続いていても一瞬先は虹が輝いていたりします。
働きかけを否定しないで明日に向かいます。
できないことに固執することはないのですから。この時に参加できることで何かが変わる予感がします。いつものことですが言葉ではとても表せません。
ありがとうございます。