北上の地
初めて行かせていただいた地です。北上の地よりコンサートをありがとうございました。
不注意から、新幹線5日間、東北と北海道までのJR乗り放題チケットの乗車券を家に置いてきてしまったため、あわや北上に行けるかどうかの瀬戸際にありましたが、払い戻しができるため、新たに新幹線のチケットを買い求め、北上に着きました。払い戻しの証明書が改札を出てから必要なため、小さな緑の窓口で係員の方に行きも帰りも対処していただきましたが、いつもせわしない心が緩やかになるような係員の方の対応に北上という土地の暖かさを感じます。
コンサート会場入り口で、高麗さんにご挨拶をさせていただいたとき、明るい笑顔で、私の胸元に輝くマーブリングの心模様に、ハデ〜!!とお聴きして、思わず私も笑顔満載になります。つい先日、友達が誕生日のプレゼントに私にぴったりのマーブリングのお花とショールをプレゼントしてくれたのです。そして開演前に先生が淹れてくださったコーヒーでしたが、一口飲んだとき、思わず先生が淹れてくださったことをまるで忘れていて、わぁおいしい、私が淹れたのより全然おいしい!!と叫んではいなかったですが、心の中では叫んでいるように言ってしまったあと、先生のコーヒーだったとはたと気づきました。春が会場のなかにもいっぱい溢れていました。
素晴らしい北上の地のメッセージから始まったコンサートで私は魂ゆたかに生きていないことばかり感じてしまいました。縄文土器からイメージするものは火でした。青森で開催された縄文のコンサートでは先生が延々と打ち鳴らす太鼓に生命躍動しっぱなしであったことも忘れることができないコンサートでしたが昨日は縄文ということをまるでわからず感じられないことが長く続きました。内面ゆたかとはほど遠い自分のあり方ばかり出てきます。それでもその僅かな隙間から先生の音と一つになっていけたとき、胸のうちから怒涛のような涙が溢れそうになりました。そのとき、東北の大震災があったあと、その年の5月に突然に亡くなってしまった父のことが蘇り、思いっきり泣きたい衝動にかられました。突然に逝ってしまった父のことを受け入れられずにいたとき、アントレプレヌールサロンで先生に悲しみを溶いていただいてから、一度も父を思って大泣きしたことはなく、父のことを思い出すことは本当は怖かったのですが、コンサートで美しい内面が奥底には宿っていると感じたとき、突然父とも一つになったのです。亡くなっても、魂は一つにある、永遠の世界では父と一つになって先生のコンサートを経験させて戴いていると感じ、胸が涙でいっぱいでした。
2部も自分の中の悪と対峙していました。よほど自分の中の悪にこだわっているのです。これではこのまま死ぬことなどできないと感じていましたが、その奥の奥には北上のやさしい水の流れがずっと内面に美しいままに流れていました。心臓がドキドキし、痛みを感じる右側の体と頭と首の後ろに違和感も感じながら体はとんでもないことを経験し、体感していることを感じています。アンコールのアリランは光の洪水のようなきらめきばかりでした。
帰りの新幹線でも家に帰ってからもまるで眠気がなく冴え渡っているみたいでした。
ゆたかに生きる、ゆたかな内面とは。。。嘘もカッコもつけられないのです。
素晴らしいコンサートをありがとうございました。