創造のチャンス
盛岡での本音で生きてください講演会、応用コース、存在論をありがとうございました。
高麗さんの声に触れ、ピアノの音、先生との生命の交流に身体が動いていくのをわかります。臓器の働きが悪ければそれだけ頭の働きが悪いこと、また臓器につながる神経に親や先祖から受け継いだ反生命的な余計なことがあればそれによって判断決断意思決定が行われていることをわかれば、その余計なものを取り除くよりないこともわかります。長い間子宮に音が届かなかったことを先日のジェンダーでお聞きしたことは衝撃でした。と同時に自分の身体でそのことをわかります。女になったか?と問われても、何が女か、、女性とはなにか、自分が女性であることは知っていても、それが何なのかを自分の生命でわからない状態で止まっていました。しかし最近、豊かに反応し始めた子宮を感じ、とても生きることが柔軟に、豊かに、大きくなってきました。活力、パワーの源が働きはじめ、以前より健康と感じます。身体の中に余計なものがある限り、頭の働きが規定されていることを認識します。天才養成講座とは、まさに身体の内部、臓器の働きが開かれ、天才になることを目指していることを知るととても希望を感じ、喜びが生まれます。
存在論の冒頭ではいだきは宗教か?宗教でない根拠は?という話から、宗教と哲学の違いをお話しくださいました。そのとき、自分の中にしつこくあった神観念がほどんどなくなっていることに気づき驚きました。神様の話が大好きで、神と聞くだけで過剰に反応していた頭が全く反応せず冷静でした。宗教は先に絶対的な神の存在、本質があって、人間は属性であり、神が存在することを前提にスタートする一方で、哲学は、あるかないかわからないことを、対話を通して考えていくこととお聞きしました。自分の頭の中に、絶対的な本質があり、そこに合わないと人を裁く意識があったのですが、自分が嫌な人間であることを人の反応を通して感じても認められなかった自分が、昨日は大変冷静であることが驚きでした。あるかないかわからないことを、何が本質かを、対話を通して考えていくソクラテスのお話しを通して私は希望を感じていました。絶対的に正しいことなどなく、対話の中であるいは考える中で存在を見つけていける可能性を感じたからです。
ソクラテスの時代、イエスキリストの時代と、今は時代がまるで違うこと、それは空間の働き自然の働き、宇宙の状態が違うとお聞きしさらに希望を感じました。存在を問えばたくさんの働きかけを受ける時代がきていることに希望を抱きます。どうなっていくかわからない、どうしましょう、こうしましょうと働いているわけではない存在のエネルギーとお聞きしたとき、まさに先生そのものと感じました。どうしなさいとは絶対におっしゃらない先生ですが、私たち一人ひとりの生命が輝く状態へと働いてくださる先生の存在にいつの時も助けられ支えられています。
恐ろしいほど時の流れが早まっています。この潮流に乗ればチャンス、乗れなければ大変な時代にあることをまさに身近なところで痛感しています。嘆いても、人のことを心配しても意味のないことも生命でわかり、自分はこの潮流にのって時代を引っ張っていく側で生きていきたいと考えています。ものを考えていくことで到達するかもしれない、知れる可能性、存在に合える可能性に生きることの面白さを感じます。
帰り道には、すでに何かが物足りず、普段全然やりたいとも思わず、思いつくことすらないことをやってみたいと提案していました。そのときに応用コースで創造工学のお話しがあったことを思い出しました。解決しようとしている問題意識を明確にする一方で、まったく関係のないように思えることも含めてあらゆることに触れている状態から、その問題に対する解決の答えがまるで違うところから変換され、出てくると理解しました。豊かな経験、豊かな関係、場を移動することなどあらゆることから解決の道を模索していけばよいことを感じ、意識的に頑張って解決のアイデアなど生まれてこないことをわかりました。改めて生きることの面白さを感じます。
本当にありがとうございます。