KEIKO KOMA Webサロン

前向き


後ろ向きに死んだらすべてが壊れるとお聞きしました。

戯れに仮に自分でかくれるならすべてを整理して樹海へ・・・と最期の最期には逃げ場があると考えていたところがあるのですが、生から逃げることは解決にはならないとわかります。

少し前わたしは何をもってかわからないのですが何の根拠もなくすべてが絶好調と信じて疑っていませんでした。でもそれは周りも自分も無視して好きも嫌いもはっきりしなくて、まやかしだったとわかってからは、人を蹴り飛ばさずに人は自分と捉えられるようなあり方をと求めています。

今日は改めて先生の音がなければ生きていけないと心が汗と涙を流し、町ゆく人は先生がいなくてよく平気だと驚きます。これはわたしたちはいだきでなければ生きていけないというこだと思いますが、じゃあなにをどうしたらいいんだろうと考えます。

いままでやってきたことのなかにもずいぶん『責任』でなんとかやり切らなければと苦しんでいることもあります。正直数年前に始めてはみたけど半端に人を翻弄するばかりとわかりもうやりたくないこともあります。そういうのに早めに気付けずだらだらとお金も時間も愛想も使ってしまうところが絶望的で、お客さんの顔が浮かぶと樹海へ入るよりないと頭をよぎったりしてしまうのです。求めてくれる人への責任を果たさなければいけないとかなりつらい重しを背負ったような気持ちです。いまだに過去の親子関係を人間関係や社会に強く投影して人を集めてしまうところがあります。これがとても苦しく、発狂しそうになります。お客様との距離が近くなりすぎるところが課題です。そういったお客様はおかねを持っていない偶然も、頼まれてもいないんですが代わりに消えてあげたくなるというか、そういう一つも徳にならない考え方の癖があります。

本日整数論より微分積分のほうが実は易しいとのおはなしがありました。微分積分なんて高校数学でも難しいほうだと信じていました。わたしはドストエフスキーなどの読書もそうですが『難しいもの』と世の中のほうで決めているものには手を出さないで、親の能力の付近で自分の出来る範囲を決めてきました。『だいたいこのへんだ』と。それは、お金の使い方の癖とも重なるので、卒業していきます。

この痛い痛い社会で、痛いものを痛いと感じながらも、それをむやみに外に見せずに美しく振る舞えるよう前向きに生きます。

応用コースをありがとうございました。

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盛岡市民文化ホール小ホールにて(9/13)
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仙台高麗屋にて
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高麗恵子スカイロケットセンターにて1