KEIKO KOMA Webサロン

初めて触れる世界


今日からの4日間連続コンサート、そしてアントレプレヌールサロン、東京では今年最後の21日の府中でのコンサートへと向かう道筋は、ただ事ではないことを昨夜から今日のコンサートにて身を以て経験させていただき、私にとっては人生総清算の時が来たことを深く考えます。昨夜から胸の苦しみにより、先生に深夜3時半までお世話になり、今日も朝から、そしてリハーサルの時までずっと整理していただき、ただただ申し訳ない気持ちとありがたい気持ちでいっぱいです。コンサート本番である先生に貴重なお時間をたくさんかけていただき、人間であれば、真にわかっていかねば人間ではないと甚く身にしみ、コンサートの尊い一席に座らせていただきました。メッセージの素晴らしいことは次元を超えています。日本語であるのに、今まで使っていた日本語とは全く違うことに驚きました。メッセージを読ませていただいているだけで、心が澄んでくるのです。本来の日本語は、心が澄んでいく言葉とわかることができ、とてもありがたいです。

「高天原」

「佐藤正英氏の著書によりますと、アメノミナカヌシが成りませた時、高天原が存立した時です。時のはじまり。「高天原」の「高」いは、たかくすぐれたという意味で「原」は広く平らなところの意です。「天之御中主神」の「中」は呪力の最もひいでたところである中央の意であり「主」はそこを統括する人の意です。一般的に云うと、「天之御中主神」といっているのは神そのものであるととらえてしまいがちですが、神をもまつるという意味での祭祀です。神そのものではありません。我々原初を考える時に重要なことです。神はたえず人々と取りかこんでいる外部のある事物や事象の奥にあって、人々にとって抗し難い呪的力能を持っているところの「なにものか」です。そのことを原初に指し示したのがアメノミナカヌシです。絶えず、我々の周囲に神が様々なむきだしのものとして「ものがみ」としてあります。」

昨夜、胸が苦しい時、アメノミナカヌシと先生の声でお聞きすると、硬い異物がすっと抜けていくのです。なんの遮るものもなく、とても澄んだ広い空間が広がり、とても気持ちが良いのです。今日の演奏も今まで見たことも聴いたこともない別次元の美しい世界、別次元の澄んだ世界、高次の世界が全体に広がり、この身は別次元のこんなにも澄んだ高次の世界に身を置ける幸せに満ちました。心地良い風が吹き、風に吹かれているだけで、ただただ幸せでした。この風は「愛」とわかった時、胸熱く涙こみ上げます。真の神の働きに初めて触れたようでした。昨夜から胸の苦しみから人生を深く考えました。いつの頃からか神様が見ているからという意識によってがんじがらめになっていました。先生の言葉も私を縛っている神のフィルターを通して聞いていたことを今更ながら気づき、先生には長年申し訳ないばかりと頭を垂れるよりありません。こうしなければいけない、これはしてはいけない、と常に神様に命令されているようで神様に動かされているように感じていました。自分で勝手に作った意識とも見えますし、先日よりお聞きしている物神により支配されるこの世の壁とも見えました。何れにしてもこれでは人生は神様への恨みで終わってしまうと気づきました。今日をもって必ず抜け出し、先生がずっとお伝えし続けてくださっている人間とし生きていくと心に決め、コンサートの一席に身を置かせて頂きました。高次の世界では今までの神も神ではないと気づきました。先生を通して初めて触れることのできた神は自由に生きることを教えてくれました。真の神と感じ、真の神に出会え、救われました。大いなる存在を抱き、交流し合い、生まれる愛を先生が演奏してくださるお姿と一音一音の美しい、澄んだ音色が胸の内に風が通るように清々しい体感とし在り続けます。おおいなる存在のメッセージを先生が瞬時に受け、同時に表現されていく連続の音の流れは愛よりないと深く感動します。

第2部は「愛をとこ 愛をとめ」音では「えおとこ えおとめ」

 

「愛」と書いて「え」と読みます。「愛<え>」は感動を表す言葉で「愛し<えし>=いとしい」の意味です。日本の原初の言葉遣いは何ひとつ嘘偽りもなくただそのままにエネルギーに満ちて澄んでいきます。「愛」という行為はエネルギーに満ちどんどん澄んでいく関係です。」

読ませていただくだけで、真に心が澄んでいきます。言葉を使い心が澄んでいくことの素晴らしいことを学びます。日本の原初の神、祭祀、言葉は別次元の美と感じ、この世界で生きていければ、人間は人間となれる希望と喜びを感じます。先生のピアノの音から見える図形を見、自然と「えおとこ えおとめ」と心の中で言っていました。どんどん澄んでいく美しい関係が見えます。アンコールでのアリランは大陸にての高次の世界に誘われ、私は胸打ち震え、涙よりありません。愛し高句麗の地に舞い降りたようで、喜びに震えました。幸せに暮らす光景、温もりを生命一杯感じ、胸の内は震えてならず、感動に震えました。

昨夜から今日のコンサートでの経験は人生総清算でありました。ここで真にいだきを理解しいだきで生きていかねば、半端になってしまうことを身にしみ感じ、真に変わる気でいます。いだきで生きるとは愛に生きることをコンサートにて身を以て経験させていただきました。愛なくしては人生はなく、愛なくして人間とし生きることなど到底できません。ありがとうございます。

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