初めて出会う 高句麗
京都での高句麗伝説に参加させて頂き有難うございます。
先日のコンサート、講座から真の歴史が顕れいだきしん先生の存在が明かされ、そして今日は高句麗の真の歴史顕る場面に居させて頂きました。偉業であっても真は自分がやったと表に出ることもなく、長いとき人間を支え続けて下さり、その真の香りをひとりひとりが辿った先に今日のような真顕れる場面があったことに感無量なのです。
真が表に顕れることなく表面の言葉を受け取ることの虚しさを感じます。裏切りや対象化が当たり前の世の中で少数のひとたちが真に生きた事が顕れたら、通じ合わず離れていくという悲しみも有り得ず、人の心は満たされていきます。
この世の中からしたら信じられないようなこと、素晴らしい遺跡、奇跡など全てに真の連綿と続く歴史の流れを見ます。五女山の石垣を見ても途方もなく信じられないような気持ちではなく、いずれ明らかになると真を生きた人たちには途轍もないことが出来たと納得する気持ちとなりました。聞いて知っていた高句麗ではなく、初めて出会う高句麗でした。その真の流れは日本へ続いていることもはっきりと表現が成され、出会いました。
真の歴史が現れ、「裏が表に」変われば一人一人は真の自分を現して生き働くよりなくなります。真と真が融合し対象化の時代の終わりを見ました。
いのち深く御言葉と音が染み入り、応用コースと同じに自分の経験のようにしその展開を体感できた高句麗伝説でした。ギターの一音に深い真が聴こえ、太鼓の音に切り拓かれるように裏は表に顕れていく瞬間瞬間を経験させていただきました。
開演前に素敵な高麗水を選ばせて頂いたことも有難いばかりです。稼ぐようになったらグラスを高麗水にするようにとのお言葉が心に在り続けていました。真に出会い生きること働くことで一つひとつ実現していけます。
全てに有難うございます。
お誕生日心よりおめでとうございます。