KEIKO KOMA Webサロン

初めての音


体の中心を通り、コンサート後に先生から「脳梁」」と教えていただきましたところまで通る先生のピアノの音が今も体の中心に立っています。今まで聴いたことのない音、演奏に感動します。この音は何を表現してくださっているのだろうと考える間もなく、感動が生まれ続きます。閉ざされていた脳梁に先生の音が働きかけてくださり、開いていることを頭で感じていました。最後は、「今日は力が抜けてしまい力が入らない」と心の中でつぶやいていました。その瞬間、今日のメッセージは「力を抜いて高まる感性」であったと気づき、笑いが込み上げました。こうしなければいけないとか、意識で行うことは力が入っていることを自覚しました。コンサート中は、そのような意識が働かず、力が抜けきっていました。「力を抜けてこそ、何事もうまくいきますのに」とのメッセージを心にしていましたので、この状態が物事をうまくやっていける状態とわかり、喜び生まれます。一部の「深淵なる愛」というメッセージも、演奏をお聴きし、経験をさせていただいた時に「深淵」という言葉はこのような状態のことを表現していることをわかるのでした。言葉は知っていても、経験と言葉が一致していなければ、真にわかったことにはならないことを身にしみわかります。「深淵」がわかった時に、脳梁にかかっていた膜のようなものがとれ、解放されたのでした。そして何も境も限界もなく、制限も枠もない世界を経験した時、畏れを感じました。限界も制限も枠もないので、どこまで行っても何も見えず、ぶつかることもないのです。宇宙に投げ出され、何の手がかりもない世界で生きることは怖いと感じてしまいました。頭が働かない状態では、無限な世界は怖いのだと自覚しました。が、その先に宇宙の生まれる三段階前の光が見えたのです。今も何の境も制限もない無限な世界で生きる生命を感じています。コンサートを経験した今は脳梁にかかっていた膜がとれたので、頭が働くようになれたと感じます。恐怖はなく、自由で心地よいです。「深淵とは切り離せない愛。誕生をもって愛があるわけでも誰かと出会って愛が始まるわけでもありません。」との表現がとても心に残り、考え続けました。この世に存在していることは深淵であると感じ、時間もなく何もない世界に存在することを経験しました。人生を考える捉え方まで変わります。深淵なる愛を経験したなら、この世の作られた愛を記憶している限り、頭は働くことはないとわかります。作りものにより、働きが閉ざされていることに気づく経験となりました。人生を毎日考え生きてきましたが、今日のコンサートの経験無くしては真には考えていけないことがわかりました。これからは考えていけますことが夢のようです。

終わった後のロビーの熱気も今も尚体に残っています。ウクライナの方はコンサートの経験を重ねるにつれ、明るくなり、言葉は通じませんが、心が通じる親しい人となりました。今日もスマホでウクライナ後と日本語で会話をしました。会話よりも、表情を見ているとわかり合えるようになりました。今日のコンサートも大変素晴らしいと感動されていました。オーストラリアからのお客様は、創造的になったとおっしゃいました。すごい熱気と賑わいでした。今日も皆様と頭が働く経験をさせていただき、ありがとうございます。世界の中で、先生より表現できないメッセージ通りを経験できますコンサートを経験できますこの上ない恵を受け、ありがとうございます。

 

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