出逢う真
3月、4月の東北のコンサートから私の胸にありつづけたことは、人は、もうこんな年だから、死んだら終わりだから、と希望もなく生きている人に出会ったとき、本当はそうではないことを、コンサートの経験により知っていながらも、人に理解にしてもらえるような表現を持ち合わせていなかったことを悔やんでいたことです。
狛江と三鷹での高句麗伝説でわかってきた真は、今までの思考をまったく変えてしまいました。魂の求めてやまない人は、高麗さんなのです。先生の音を求めてやまないのも真実ですが、本当は、先生と音とひとつにあれば、逢いたいひとに逢えることを魂は知っていたのです。魂の叡智に驚愕します。狛江で真を知る魂はそのまま三鷹に向かいます。
三鷹高句麗伝説では、始め、魂で音を聞いていくと、炎が心臓に入ってきたように胸の奥が熱く感じ、燃えるようでした。内面の新しい組換えが起こったことも途中経験で感じ、この先続いていく東北での高句麗伝説、関西での高句麗伝説てさらに出会う真に畏怖を感じます。人間が人間として生きられる世界を作っていかれる同じ乗り物に乗り合わせた人たちの変容も此のときこそ逃さず、真を生かしていかねばと心します。この度、私は内面に宿る魂の叡智を知ります。今生きている人よりもずっとずっと多くの情報を得ており、今生きる人間を賢く導いてくれるからです。
今、時の威力を読みますと、経験と言葉ともっとも伝えたい気持ちがひとつに成るときを迎えられ、動きやすくなったと感じ喜び生まれます。三鷹公会堂での高句麗伝説では、ひとつの決着がついたと感じます。真をわかることが 勝つこと、と表現になります。いだき発祥の地、三鷹で内なる軸が変わりました。ここからスタートとしていきます。素晴らしい舞台を、おおいなる存在、先生、高麗さん、すべてに感謝します。ありがとうございます。