KEIKO KOMA Webサロン

冒険


京都での応用コース、存在論、迎賓館コンサートをありがとうございました。

応用コースでは、ワクワクするような冒険が魂の根幹にあり、冒険が歴史を動かす原動力であるというお話しに嬉しい気持ちとなりました。大学生の頃、バックパックを背負ってひとりで東南アジア諸国を旅行するなど、子供のころから冒険が好きでしたので、冒険の本来の意味が「先に進むこと」には直ぐに合点がいきました。しかし、自分が人生における冒険をしているかというと必ずしもそうではなく、わかっている範囲内でものごとをやろうとする傾向があるなど、前に向かっていけない原因を自分の中に認めました。特にリスクを背負わない前の動きはない、というおことばからは、将来事業を始めた際、リスクを恐れるあまりに小さな勝負しかできない、もしくは色々な選択肢を検討する間にチャンスを逃すことなどに気をつけたいと感じました。そして、ある局面において、大きなことを即決できるような状態になるためには、やはり普段から内面のことをわかっている必要性を、ここでも感じました。

存在論では、可能態が個の時間ではなく、他者との関係における時間が一致した状態を指すことが盲点でした。例えば、起業を想定した場合、自分ひとりでスタートすることに固執していることに気づいたからです。

また、農業を手段とし、最終的には森づくりをしたいと表現させて頂きましたが、本来は自然をなるべく破壊しない農業のあり方に思考を注力すべところを、その手前の段階でつまづいている自分に気づくことができました。現在、手段のひとつとして牛の 里山への放牧に可能性を感じていますが、前提となる畜産そのものを、未だ自分が受け入れ切れていないことがわかったからです。このことは、自分の中の矛盾に由来します。それは、普段、私は肉を平然と食べるにも関わらず、人間の食糧として生まれ、やがては屠殺される家畜の育成を自らが手がけることには抵抗感を覚えるという矛盾です。しかも、その解決法として、家畜という性質そのものを受け入れるのではなく、家畜の幸福を追求することで、畜産そのものを正当化しようとする、自身のすり替えの心の動きに気づきました。

また、牛の放牧の可能性については、頂きましたご指摘、すなわち、放牧が大きな自然破壊に繋がりうること、餌の栽培の代償が環境負荷であるということを念頭に、さらなる検討を進めたいと考えます。

翌日の迎賓館コンサートでは、朱蒙をテーマにしたピアノの演奏時に、彼の勇猛さや、温かさ、優しさ、器の広さなど、まるで大陸を横断する大河のような、人間としての深みと豊かさを感じ、国づくりのリーダーのあり方を体験させて頂きました。

ありがとうございます。

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京都府立文化芸術会館にて
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比叡山にて
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マドレーヌと新五女山コーヒー