再び歴史の巻物を紐解き迎える新しい時
なんという一日であったことでしょう。生命沁み、先生の演奏とお話が身を以てわかり、これからを生きていける安堵と感謝で一杯です。今日のコンサートメッセージそのままを経験させていただきました。お正月を迎えるような気持ちで今日に備えていましたが、朝起きると、また鬱になっており狛江に向かう時は胸が苦しく、痛んでなりませんでした。思わず、ロビーにおられた先生に胸の苦しみを訴えると、今日のテーマだからという内容のお言葉に、頷くよりありません。コンサート、講座が開催される日は、乗り越えるべく状態が浮き彫りとなります。胸の苦しみは疎外とわかり、深く合点がいきます。胸の内に大きな穴が空いており、コンサート中には自分は大きな欠陥があると考えざるを得なかったのです。内にあるものがどんどん外へ出ていく状態が疎外と応用コースでお聞きした時にはあまりにぴったりな表現に胸がすきました。第一部のメッセージは「物神化」です。物やお金が神となり、尊い生命は犠牲になる社会です。「お金や物を崇拝するようにしているこの現体制内でどのようにして内面的命を取り戻し、犠牲にならない生き方を取り戻しましょうか」との最後のメッセージを心にずっと演奏を聴かせていただきました。答えは愛を経験し疎外から抜け出すこととわかりましたが、途中は、胸にぽっかり空いた大きな穴のことを考えました。まるで高句麗伝説のように歴史の巻物を紐解いていくようでした。私の内面には高句麗時代の光輝く時を知っている感覚があります。もう一度あの時を。。。と戻ることのない過去の光ある時が戻ることを求めていることに気づきました。戦の時代であっても皆で生命一つ、魂一つに生きた温もりを高句麗の地にて感じてきました。内面で知っている感覚と同じでした。私も子供の頃は、家族皆が仲良く暮らしていました。その後色々なことがあり、別れ別れとなってもいつかもう一度仲良くなることが戻ることを望み生きている感覚もあります。歴史を遡れば、国が滅び、国を失ったことが大きな穴となっています。生命と同じに大切な国を失ったことは、心に大きな欠陥が生じたこととわかります。先生に出会い、運命を解明してくださり、解放してくださった時にも歴史の巻物を紐解くようでしたが、今日のコンサートでも大きな穴は何故にあるのかを考えていると歴史を辿っていくのでした。未だに、高句麗の地に帰りたい思いがあることも自覚しました。1000年を超え、幾世代にもわたり、故郷に帰ることを望みながらも帰ることが叶わず生きてきたことを考えると、未だに涙ばかりが込み上げます。過去には戻れるわけがなく、たとえ戻れたとしても、変化、成長して生きていかねば、意味がないので、また虚しくなることは想像がつくことです。意味のないことを望み、今に生きていけない大きな穴を埋めるべく、先生のピアノの音がどんどん入ってきました。愛であるとは生命でわかります。大きな穴を感じていると涙よりないのです。そこに愛が満ちていくのです。涙よりありません。深い悲しみ、深い傷が癒え、愛に満ちる経験を語る言葉を見つける余裕もなく涙よりないのです。
第2部は、「疎外された愛」とのメッセージです。
「 疎外された命の苦しみを日常、疎外から解放されることもないまま、いつのまにか苦しみを苦しみとも感じないままに過ごすのがせいぜいでしょう。この状態で愛を語り、愛という言葉にさらに疎外され今まで何度も何度もメッセージを送り、コンサート等で真の愛を経験しても、その場限りのことになりがちです。また日常に戻り、愛という言葉すら、真っ当に表現することもはばかり、日常のうちに胸苦しく、何か不安から解放されることもなく、過ごします。愛以外に疎外から解放されることはありません。素晴らしい内面の世界をご堪能ください。」
疎外された命の苦しみは嫌という程、経験しています。発狂しそうな程の苦しみは自分特有のことかと考え、誰にも言えずに苦しみ生きてきました。先生に出会い、疎外のお話を伺った時にはこれこそが精神の苦しみの原因とはっきりとわかり、救われました。ここ最近、そして今日は、再びこの苦しみに襲われ、何とかせねばならないと必死に考え、取り組んできました。愛よりないとは身にしみわかります。応用コースでのお話は生命に深く沁み入りました。一言一言が図星過ぎて、畏れ入ります。資本主義体制では愛は実現しないと言い切ってくださったお言葉に胸が解放されます。外へ外へ中身が出てしまい、外へ出た概念で自分を動かすので苦しいとの表現も、自分が自分でいれないから精神病になるとの表現もあまりに的確で笑いまでこみ上げるほど図星でした。疎外は大変苦しいとお聞きすると痛い程にわかり、涙込み上げます。このように手に取るようにわかってくださる先生がおられるので生きてこれたと深く感謝します。先生ご自身も苦しみ、抜け出して来られたので、このように手にとるように分かられるのだと涙溢れます。医療を中心とし自分の人生を作っていけるかとのお話も、深く頷くばかりです。先生が病院に行くのは自分に必要だからとお話しくださいました。疎外されて胸が苦しいのに、検査して何か病名がつくような影が見えると安心したりというお話も私自身が経験してきたことですので、よくわかります。そして薬を飲み始めると本当に病気になるとは、全くその通りを経験しています。疎外に効く薬もなく、愛を実現する薬もないとは真にと頷くよりありません。人間としての生命体は、楽しく、幸せになると元気になるとお聞きし、医療や薬によって人生を決められることなく自分で考え、生きていくことは何物にもコントロールされない可能性を感じ、生きていく希望と力が湧いてきます。コンサートと応用コースによって、疎外の苦しみから抜け出すことができ、憑き物が取れたようで、ホットしています。大きな化け物に取り憑かれていたような感覚です。またいつ襲い掛かられるかとビクビクしながら生きることにも嫌気がさす程でしたので、これから新しい体制を作っていくとの先生の今後の向かう方向をお聞きし、当然ながらここで生きると姿勢は決まります。一巡し、新しく始める時との最後のお話に最近の状態が何故そうであったかが理解でき、胸撫で下ろします。「打ち明けて」のコンサート後に、前に戻ってしまったかのようになったり、その原因を考えると歴史の巻物を紐解くようになったりと、すでに運命は解放され、40年も本音で生きて来れたのにと首を傾げ、考えることが多かったです。生命の隅々まで洗いざらい清めていただいたのだとわかります。こんなに大きな穴が空いていることも気づくことなく、子供の頃から当たり前にあった感覚でさえも曇りであり濁りであると気づけば、解決せずに今後を生きていけることはない、大きな障害となることであります。一巡し、新しく始めていけるとは、真にありがたいことです。戻ることのない過去を心に生き、胸に穴が空く生き方は新しく生き始めることなくしては、変わることはなく生きていけなくなるとは明らかにわかっていました。新しい年を新しく始めていけます機会を与えていただき、生命救われました。ありがとうございます。
今日となりましたが、午後6時半から11月1日に開催しました「高句麗伝説」の上映会を東京高麗屋にて開催します。ビデオ講演会は午後5時15分から開催させていただきます。
ありがとうございます。