源はひとつ
多賀城コンサート、参加させていただきありがとうございます。 この地に眠る魂、待ちにまっていたこの時、とわかるばかりに、我が胸に押し寄せる洪水のような魂を感じました。一気に光となり生命をしめていく魂に、生命全体が光と発しているように感じました。光との出会いの勢いが半端ではなかったです。パンフレットのお写真の様から、計りしれない解放の時を迎えられたれたのではないでしょうか。二部では、前に、お会いしましたグラフィックデザインの世界では巨匠の位置にあるお方の奥様の個展に偶然出会い、知人の会場から絵の搬出をお手伝いする流れになりました時の経験ですが、見せていただいたある一枚の絵に感動し、再び絵心を煽られたその時のことが音で光景とともに呼び覚まされました。実は、秘密にしていましたが、何年か前の、4月1日に京都コンサートがありました。第一部のメッセージが詠まれました時、瞬間生まれた本音がありました。しかし、その本音を瞬間つぶして無きものにしてしまったことが何年も心の中にありました。本音は命とひとつであるのに。それは高麗さんの絵を描く、という本音でした。表現するのもはっきり言って恐縮なのですが、本音は未来を創る、ひとつひとつのことを簡単に足蹴にしていたこと、今となっては、とんでもないことをしていたことに気づくのです。上手くできないからとか、言ってられないのです。偽りがはざかう世の中であっても、天の心を内に生きれば、実現する空間になっていること、先日、内面にあることがすぐ表にあらわれる、という現実をみせてもらっています。日本全国津々浦々に眠る王に会いたい魂の目覚め、そして、天の心映す高麗さんの天を地に実現する未来に向かい、明日も、ただ、やることに向かい、生きていくのみです。多賀城コンサートの帰りに頭上に煌々と光輝く丸いお月様の光は、先生と高麗さんのなされるおはたらきを祝っておられるようでした。ありがとうございます。