KEIKO KOMA Webサロン

内に燃える炎


昨日の三鷹での壮大なメッセージのコンサートを経験してからは人生は変わりました。生命の源を正確にわかれば今まで生きてきた人間の人生は真の人生ではないということが見えるようにわかり、私の人生も変わりました。全てに愛があり生きることが人間の人生とわかります。この経験を持って同じことに取り組む時も愛よりない経験となり、嫌なことや心憂い、痛むことに対しても愛の表現となり、真の人間とし生きる真の人生が始まりました。その上で迎えた今日の三鷹でのコンサートでしたので、さらに人間の本質を深く学ぶことができ、すべては学びでした。第一部は「死中に活を求める」とのメッセージタイトルです。私の内では知らず知らずのうちに「死中に活を得る」と変わっていました。まさに現代社会にていだきをさせていただき、先生のコンサートに世界の未来、人類の未来を賭け、開催させていただいていることは死中に活を求めることと考えます。

「「死中に活を求める」ということをお聞きになったことがあるでしょうか。日本の国民性を語るに武術を抜きにしてはあり得ません。室町時代の飯篠長威斎をもって流派というものが起こりました。江戸時代の末期には剣術においては数百の流派がありました。このような国は世界中のどこにもありません。武術と芸術はほとんど差異なく使われていました。日本の剣法の特徴は自分を守ることをせず、全身全力全精神をもって敵に向かっていきます。時代劇のチャンバラ映画のように、受けて人を切り倒していくことは現実にはあり得ません。本来、日本の剣法には受けるという手は無いので、討つか討たれるかという二つよりありません。「死中に活を得る」という超経済の方法です。熟慮断行。」

空間とひとつにある存在と共に寸分の狂いも隙もなく身を運ぶ美しい神業と見える動きを見ました。日本は武術と芸術はほとんど差異なく使われてきましたとの先生のメッセージ通りを見、経験させていただきました。今日は高句麗のことが書かれている本ばかりが並ぶ書棚を整理していましたが、ちょうど武術と芸術に長けている高句麗が日本の元にあるということが書かれていた本を読んでいました。先生の演奏からその言葉の意味がよくわかる経験をさせていただきました。空間とひとつにある存在は大いなる存在であり神と考えますが、最初から大いなる存在と共にある全体と一致する生命となり剣を持ち、使う姿は神を表す優れた芸術を見ているようでした。それも生死がかかった芸術ですので、これ以上美しいことはないという迫真の美しさです。全体と一致する生命には「受ける」という手は存在しないのです。受けたら、生命の中心軸がずれ、死ぬよりないのです。この世で生きること、仕事、活動をすることは受けてから考えては、落ちてゆくだけです。周りの様子を見るとかは外れた状態であることがそのまま見え、わかります。「全身全力全精神を持って敵に向かっていく」よりないということを生命を持って経験させていただきました。呼吸、息使い、身のこなし、力を抜くこと。。。全てを教えていただきました。熟慮し、決めたら断行するとは先生の演奏から、どのようなことかをわかりました。熟慮しなければこのような完璧に隙ない動きはできません。断行するとは全身全力全精神とわかります。先生の演奏は神業です。呼吸ひとつ隙なく乱れなど無縁な状態で完璧に美しいです。大変素晴らしい神芸を見せていただいたようで畏れ多くも最高の経験をさせていただき、喜びと感謝の気持ちが溢れます。芸術の舞台作品であれば、私はこのような作品を見ることが大好きです。息を呑み、聴き入り、魅入ります。

第2部は、「愛の本質」

「愛の本質を活かす。ひとつは芸術として成立します。剣術のひとつの極意のように家族とか恋人とか関係する相手がいる場合、相手の為にも一生涯の修練を費やして名人の境地を目指します。そのもとになる愛です。現代流に言えば全身全力全精神が愛のうちにありどのような窮地もものともせず、新世界を構築する活動を休まず、絶ゆまず、悠々自適に肩の力を抜いて生きて活かしているかどうかでしょう。」

今日も今までであれば雑念とし片づけていた状態が始まりました。ここ数日の経験により払い除けてもなくなることではないとわかりましたので、受け止めて行きました。思えば子供の頃からのある習性です。この感覚は誰にもわからないと考える不思議な感覚なのです。空を見、何かに心馳せていくようであったり、夜空の更に向こうに心馳せていくのです。周りから見たらただぼーっとしているとより見えないある感覚なのです。私自身も今日のコンサートで気づかなければまたぼーっとしてしまった、と悔やみ、自分を責めていたことでしょう。あまりにこの状態が現るので、受け止めました。目に見えない世界を見ているのだと気付きました。それも次元が違う世界に焦点が合っているように感じます。この先がどうなるのかを辿って行きたいと考えました。時間を忘れ、いつまでもこの状態でいれるのです。この世で生きることはこの状態を中断し、日常のことを行うので時々、億劫になります。色々と考えました。今後のコンサートでこの先に気づけることがとても楽しみになってきました。この感覚にありながらも、生命の内は火の玉が燃えているようでした。私には火の玉が見え、炸裂し、大爆発し、生命の内は炎が燃え盛っています。この世の不安、恐怖は燃え尽くしました。人間により作られた不安であり恐怖であります。内にある炎の如くに燃えるエネルギーは、世界を変える活動をしたいと切望し、やる気に満ちてきます。昨夜、生命の言葉を書き綴っている時に体の違和感を書いていくと、コンサートの動員活動が足りないと教えていただきました。自分だけが経験し喜んでいるコンサートではないことは今までもいたくわかっていることでしたが最近は心の底から世界中の人と共に経験したいと欲します。今日も内に燃える炎を感じる時、大きなコンサートホールに人が溢れている光景を欲します。人類史上はじめての人間としての生き方を人に伝え、世界の危機も地球の危機も乗り越えていける生き方であることを多くの人がわかり、新しい生き方が始まれば、世界は一気に良くなると見えることを実行したい気持ちで一杯です。この状況下にあり何をするかを毎日考えますが、今日のコンサートではこのことばかりが心に浮かびました。アンコールにて愛の風と呼ぶ演奏を経験し、生命は愛に満ち、涙に溢れます。メッセージのお言葉「全身全力全精神が愛のうちにありどのような窮地もものともせず、新世界を構築する活動を休まず、絶ゆまず悠々自適に力を抜いて生きて活かしているかどうかでしょう」に深く頷きました。全身全力全精神は私にとっては火の玉が燃え盛っている状態の時に体中熱くなり、愛に満ちる時に最も「生きている」と実感することで経験させていただきました。これからの生き方、生き延び方を完璧に丁寧に教えていただき、経験までさせていただき、大変光栄です。心よりありがたく感謝溢れます。ありがとうございます。

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