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内なる光の芽生え 新宿の二日間


帰りも夜行バスで帰ってました。新宿文化のコンサートの二日目のメッセージにあったように体の硬くなった筋肉が伸びることを期待して歩く速度が速くなることをのそんでいましたが、雨と強い風の中を地下道まで折り畳み傘が何度もお猪口になりながらも二日分の荷物を肩から下げて歩けただけで幸せでした。私も新たな人生を生きています。目に見えない後遺症はいろいろありますが、それこそ一時間に何度「よいしょ」というのかというくらい何かしようと思うと「よいしょ」が出ます。夜行バスは帰りは4列シートで隣の席は空いていたのですが体を折り曲げて長時間夜を過ごしても、どこにも痛いところはないのです。障碍者割引を利用していますが、こんなに不自由なくバスで旅する障碍者はあまりいないのではないかと思っていたら、杖をついて私よりも重症に見える女性もバスに乗り合わせていました。何よりもコンサートで凄い経験をしています。コンサートになぜそこまでしていくのかを説明することは言葉では不可能に思えます。行きたいから何を置いても行くとしか言えないのです。新たな人生を歩める奇跡。よいしょは調べてみたら「六根清浄」と修行の掛け声からきているという説もあります。毎日の日常生活が修行をしているようなものです。不安と恐怖はつきものです。(追い払う掛け声くらいは許してください。)
一日目のコンサートの前にホテルのチェックインの時間を待って歌舞伎町の公園でぼんやりしていたら足に障害のあるハトが近づいてきました。でも空を飛ぶことには支障がありません。障害バトとカッパえびせんをついばむ成(鳩)病予備軍の鳩、でもハトは自由に空を飛んでいます。人間のほうが自由ではありません。時間やお金に縛られています。

コンサートに行った時だけ体がよくなるのでは何のために行っているのかわかりません。自分のためだけ、体直しの場ではありません。講座の3日目に先生は「えらいとことに来たと思う日が来るよ」と言われました。30有余年後もはっきり覚えています。自分が何のために生まれて、何のために出会って、これから何をするのかはわかりません。今思うと普通では考えられない奇跡も経験していて、それも一度や二度の事でないくらい。いだきしんコンサート。Divine Ege.そこで起こることは言葉を超えていますが、普段の生活に戻って新たなる次元で生きていかないと先生が命を懸けてしておられることにただぶら下がっているだけになってしまいます。
名もなく貧しい障碍者であったとしてもコンサートで光に包まれています。美しい言葉では表現できなくても自分の中にも光がともっています。コンサートで私が唯一見えていた光というか色という表現しかできませんが、それがこの新宿の二日間のコンサートでは見えませんでした。考えてみれば見えるということは外から対象化していることでした。光が裡に芽生えたら見ることはできないのです。ただ暖かく神々しい光を感じるほかありません。一人で行っているのに縁のある受講生といたるところで出会います。まさに偶然は必然です。全国に家族以上に分かり合え手助けてくれる仲間がいます。いだきの連帯です。何のための連帯化を忘れてはならないのです。
ただ行きたいから、生きたいから、これからますますある、それも全国各地であるコンサートに行きます。どうやって行くのかはわかりませんが未来に答えはあります。ただ裡に灯った光だけが頼りです。キラキラと風にそよぐ若葉の輝きにも負けない内なる輝きを胸に。
ありがとうございます。
西川久美子

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