共振
先生のコンサートの前半に音でからだもあたまも刺激されつづけ、心地よく、後半はどんな経験になるんだろうと期待していると、意外にも苦しい状態になることがあります。
じぶんの今の状態が浮きぼりになります。
昨日の京都コンサートの第二部では、身の置きどころがないような苦しさが続きました。
肩や胸や胃など、からだのあちこちに意識が向いていきました。
普段は気にならない耳鳴りも、あたまを圧迫するように不快です。
じぶん一人のしんどい状態でもこんなに重いことに、人々の重荷を引きうけ、一気に変えてくださる先生のおはたらきに頭を垂れます。
ピアノ演奏の場に身を置いていれば抜けていくのをわかっていることも、ありがたいことでした。
だんだん苦しいのが引いていき、からだもあたまも軽くなり、最後終わったときにはすっきりしていました。
メッセージにあった「本日のピアノの音が広がるとき、ただ同じ振動を受けとる体があります」の一節がこころにありました。
からだは苦しかったのですが、皮ふの下のあたりのことで、からだの奥ではなかったです。
重いところがあると奥を感じることが難しいですが、からだの奥はいつも先生の音と共振する空間があることを、奥は苦しくないことからわかりました。
からだでは、たしかに振動を受けとれています。
固くなっていた表層の部分をほぐしてくださり、からだの全層で受けとれるようにしてくださいました。
世界では恐怖の波があっという間に広まってしまったこの数日です。
昨日のコンサートで、そういう波に共振しないからだにしてくださいました。
ピアノの音で経験する世界を広げていけるように生きることを考えます。
はじまりの日のコンサートを、心よりありがとうございます。
