共感
昨日の三鷹コンサート、アントレプレヌールサロンに参加することができました。6月16日は母の17回目の命日でした。母が倒れてから先生に助けて頂き入院生活をしばらく送っていました。丁度あの頃、先生達は海外に行かれていて、母の容態を記したファックスを身につけていた事をお聞きしました。
三鷹コンサートは様々な想いからはじまりましたが、席に着くとそれも消え去り心地よい美しい演奏に魅せられます。繊細でありながら強さもあり、このように美しくしなやかに生きたいと考えます。このところ頑張ることも出来ずどこか力はなく、しなやかとは程遠いへなへなな状態。日々緊張をしながら頑張ってきたことを実感しました。へなへなな身体にもきれいな風が吹き抜け、気持ちよく深く呼吸しました。第二部のメッセージは物語を聴いているかのようで、静かに目を閉じました。遥か昔、太古の時代の映像が広がります。むかしむかし、、大きくそびえる木の葉、太陽の光を浴びてくっきり浮かび上がる葉脈、そこから雫が落ちその雫に光が差込み、、とてもワクワクします。そして大木が倒れ、その倒れた木が今も私達のいのちの源になっているとは。幾多の困難を超えたいのちの繋がりを感じ、この命を大切にしようと感じました。コンサート会場は共感領域が広がり、演奏が終わると全ての人が満面の笑顔になりまました。美しい物語のメッセージとピアノで、身体の細胞まで働きかけて頂いた体感があります。ありがとうございます。
アントレプレヌールサロンでは共感領域を広げる事、人と人がいい関係で生きていくことより闘う方法はない、核は抑止力ではないと伺いました。共感は家族間でもできているようでいつもできているわけではない、と気付かされました。受講をしていても、コンサート会場やいだき講座の場を外れると、この世の中の空気に触れ大切なことを忘れ疎外に飲み込まれていきます。いだき講座を受講した家族、友人でさえ、時に共感していない、頭で別の世界にいるように話しをしていると、恐ろしく、突然奈落の底に落とされたように感じます。今は人と人が共感する一方で余計なものがどんどん出てきて、半端な人は居なくなるとのことに、身の内を考えます。アントレプレヌールサロン講座が始まる前に長女と2人でいた時に先生にお声がけ頂いたことは、直ぐに理解できていなかったのですが、私達家族への言葉として受け止めています。ありがとうございます。わからないままでは済まないと考えるこの頃、久しぶりに仙台のコンサートに参加致します。ありがとうございます。