共感の言語
応用コース、配信にて参加させて頂きました。日本語は共感の言語とのお話、ありがとうございます。日本人に生まれたことは好運です。先生の言葉を、私の理解度はともかく、とりあえずは日本語で聞けることは本当に恵まれています。
共感は、いままでも、これからも、とても大切な能力です。日本人にそもそも備わっているものならば、もっと表現していかないともったいないと思いました。
今日のお話を聞いて、英語と日本語は同じ言語なんだから置換可能だろう、などとは簡単にいかないことを改めて思います。まったく違うものなんだという出発点から、はじめないといけないと思いました。
川端康成の「雪国」の書き出しは有名ですが、「Snow Country」じゃ何か違うなあ、というのは感じますし、汽車も「Train」だとちょっと違うな、と感じます。夜の底が白くなった、という詩的な表現も、英語に翻訳する側は大変苦労したことと思います。英語にすると言葉に含まれている情緒が見えなくなります。
真偽はわかりませんが、これも有名な話で夏目漱石は「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳した逸話がありますが、共感の言語として考えれば、なぜそのように訳したのか、少し理解できる気がします。「love」と「愛」は違う、もしかしたら夏目漱石はそう考えたのかもしれません。うまく言葉で説明できませんが、愛とloveが違うことは、感覚としてわかります。
主語のないことが、文章としても美しいです。
「言語が思考を規定する」私の好きなSF映画で「メッセージ」というのがあるのですが、地球に来た生命体に対して言語学者がコンタクトをとり、そのメッセージを解読する、という話です。その生命体はすでに時間を超越していて、その方法を地球人に伝えにきたという設定です。彼らの言葉は時制がない表意文字で、始まりも終わりも存在しない円形の輪のような言語として描かれています。そして言語学者がその言語をすべて解読し理解できたとき、ついに人類は時間の謎がわかり、時間を超越し、人類は一つになる、というような話です。言語の限界が思考の限界になっているという映画のメッセージでもありますし、言葉を理解できたとき、それまでのすべての概念が覆される希望も示してくれています。先生のお話を聞いていると、これは映画だけの話ではないと思います。
学校の国語で日本語を勉強したつもりになっていましたが(そもそも成績は芳しくありませんでしたが)、先生のお話を聞いていると、自分は日本語すらまともに勉強をしてこなかったんだな、、と勉強不足を痛感します。
いだきしん先生、高麗さん、いつもありがとうございます。