共感と同情
このところ雨に伴う涼しさが続いています。今年の終戦記念日815は真夏である事を忘れてしまいそうな肌寒さで、西日本の大雨や、アフガニスタンのタリバン制圧報道に、明らかに世界が大きな変わり目である事を感じながら渋谷コンサートに参加致しました。美しいピアノの音が懐かしく、身体が熱く汗が滲みました。この夏の2回の高句麗伝説、アントレプレヌールサロンでは共感領域が広がった事をお聴きし、コンサートでもメッセージにあり、共感と同情のことを改めて考えました。共感とは、自分が主体ではない事、共感できることが人間なのでしょう。合理的に尽くしてもダメになるのは人間になっていないから。以前もお聴きした、専門家や職業人になる前に人間になることの大切さを噛みしめます。
高句麗伝説では、表が裏に、裏が表に全てがひっくり返るとの言葉が深く心に残りました。先月、父がいる故郷に帰省をした際に、長年に渡り親戚に誤解をされていたことが解け、今まで私が悪者で父親が正しいと思われていたことは事実ではなく、自分の都合のいいように書き換えられて話したことを理解した事に少し驚きました。6月に高麗さんに幻のコグリョウカフエで書いて頂いた「影になり礎を築いた人生終わり」との言葉が蘇り、これまで自分を現さなかったこと、そしてあるがまま現れる時を迎え、肩の力が抜けたようになりました。時に周りに合わせて肩肘を張り生きてきたのでしょうか、ここにきて同じことの繰り返しをするのも見るのもほとほと嫌になってしまった自分に戸惑いがあります。
レバノンからのこの度の写真を拝見し、荷物がどのくらい届いたのかは分かりませんが、マーブリングのシャツや鉛筆が難民の子供たちの手元に届いた事がわかり安堵しました。厳しいレバノン始め中東情勢の中、一瞬でも子供たちが笑顔になる瞬間があり良かったと感じました。次の支援の事も伺い、継続して協力できるように努めたいと考えます。心から感謝申し上げます。ありがとうございます。