共に生きる存在
京都でのコンサートを有難うございます。
この時、この場に存在していられることが信じられないほど幸せです。存在に包まれ存在の境なく在るということを知りました。存在とは誰のことを指すのかと定義することもなく、対象化する世の中ではよくわからない豊かな世界がそこにはあります。
あるとき大きく生きているように瑞々しく響く音を聴いていると、存在はコントロールから外れ上のほうに浮遊して際立っていました。みんなが仲良く幸せで共に生きている豊かな今というときはいつか見た未来なのだと感じます。
そしてお腹の底から波打つような音が聞こえ、闇に隠された光に到達していきました。新しい愛の始まりは女性たちの悲願であり、女性性が現れ女性が幸せである時代が始まった喜びが溢れます。闇に光が射し時代が変わっていく只中に生きていられることが光栄です。
京都高麗屋さんにて愛麗花さんのやさしいコーヒーと「恋の予感」を頂き学びに溢れました。一歩入っただけでその空間が美しくやさしく存在のはたらきかけに充ちています。笑美さん、愛さん、愛麗花さんがいらっしゃり、高麗さんが後ろで詩を書いてくださっているとき、皆で幸せに生きられたらいいな。と、考えるともなくこどものようにそのままの気持ちが生まれました。望んでいたときが突然現れると同時に思い出され涙溢れます。素晴らしいと何度も仰って下さりながら詠んで頂いた詩に更に涙溢れます。いつになくはっきりしていました。今年に入ってから他者に許された範囲や岩戸のなかに守られた範囲ではなくどんどん出ていける状況になったことが表れ嬉しかったです。これまで頂いた詩の御言葉を見返すと、厳しいこと、中心で生きる恐れやゆらぎなどを書いて下さり、受け止め分かったら変われたのだと感謝します。
先を照らしてくださりこれから更に素晴らしい未来を創っていける始まりの一日となりました。感謝でいっぱいです。有難うございます。