八月十五日
奈良高句麗伝説を聴く会に参加させて戴きました。 いだき講座を受講していながら大変、失礼であり、はずかしいのですが、夕方神戸にいるスケジュールをみて無理とあきらめ当日乗換え案内を調べても無理と表示され何を馬鹿なことをやっているのかと気づいて参加を申し込むと仕事をやりきり、ぎりぎりの綱渡りではじまる数秒前には席につけました。
高句麗伝説の重大性をわかり本気で参加すると決めれば参加できる巡りがまわってくる、いったい何度示され経験してきたでしょう。
聴く会では先生の演奏と高麗さんのお声がひとつに聴こえ徹底して透明に澄み渡り、どこまで深く心に染み入り、美しい愛の世界が顕れるほど、真逆のものがうごめく辺縁の世界も感じられます。辺縁のほろびゆく世界といっても原爆を落とす力があり、今日では原水爆を使わなくてもパソコンひとつでいつでも同じ結果を招くことができることが公表されています。
王様はどんな危険があることを承知でも先へ進まれ逆に進まれるからこそ危機を乗り切るのでしょうが、これまでの体制では不可能なことでも一切関係なく、新しい道をつくり続ける真の魂が蘇りはっきりと顕れています。闇に交わることなく埋められた真を貫き通す魂が蘇り顕れています。
15文の赤い紙切れ一枚で戦場へ駆り出され家族の元へは一枚の公報が戻るだけ、つい最近にこの国で起こったことです。
今は一枚の命のチケットが届けば連なる魂報われ光の柱となる奇跡の機会があります。
王様は一人でも突き進む、人をあてにはされない、では本当に王様一人に戦わせるのか、そう聞こえる聴く会でした。