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全体性を取り戻す


東京での存在論をありがとうございました。なぜ現代のような問題が山積する社会になってしまったのか、幼少期から続く疑問も含め、その原因が明らかとなりました。

幼少期に東京都心部の光景を目にして、一体、誰が好んでこのようなコンクリートだらけの街にしてしまったのかという疑問が生じました。それ以降、個人としては、誰しもこのような結果を望むべくもないけれども、社会という集団を形成すると、人間は個人の意思とは全く別のあらぬ方向に進んでしまう生き物なのではないかと考えるようになりました。また、職場でも、誰しも目先の問題の解決にばかり目を向け、根源にある問題に目を向けようとしないことに、常々違和感を感じておりましたが、その原因を自分で明らかにすることもできず、やがて、自分も日々の業務に追われていたことが思い返されました。

しかし、今回のお話しをお聞きし、社会の歴史的な成り立ちを背景に、個々人のあり方に問題があることが、明らかとなりました。まず、これまでの人間が、全体ではなく部分で生きているという状態にあること、すなわち、頭と体が分離されて、頭(我)が体を支配しているという状態にあり、それが、デカルトの二元論に起源をもつという事実を知りました。とくに、例として挙げられていました、自我が本音をエネルギーをしようとしている状態にある、というお話しは、自分にとって耳が痛いこととして受け止めました。また、技術革新と結びつきながら、部分的な問題にアプローチすることで、次々と新たな問題をつくり出し続ける、科学の最大の問題点についてのお話しからは、これまでの社会が抱えてきた構造的な問題が明らかになるとともに、冒頭に記載した自分の疑問や違和感の原因がわかりました。

そして、このような状態からの脱却方法として全体性を取り戻す、というお話に未来を感じます。強い自我により、どうにもこうにも自分勝手な生き方を選択をしてしまう、部分的なものが自分の内側にあると自覚するためです。また、人の命には回復する能力があることや、命の交流など、人との関係の中に、全体性を取り戻す道が開かれていることを、わかることより先がないと感じるからです。さらに、かつて懐疑的であった科学や技術も、それ自体に問題があるのではなく、それを使う人間のあり方に問題があることに、改めて気づかされたためです。その第一歩として、まずはキレイなことばを使うことから始めることを心に決めます。さらに、自分がこれから行おうとするものごとについても、自分のことに精一杯にならずに、まずは全体を感じ、全体の中から事実を発見・開始することを徹底できる強い精神を身につけたいと感じました。そして、事実や解決方法の発見のみならず、問題の解決までを含めた一連のプロセスを真理の探究とすれば、自分が今問題と認識している事についても、実は全体の中では部分に過ぎないかもしれないという前提で、常にものごとに臨む姿勢を身につけたいと感じました。

ありがとうございます。

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