全体の愛
大きく生きても良いんだなと感じられる状況があると、とても楽で助かります。そういう感じがあると遠慮なく動け、反対に『実はあまり望まれてないようだな・・・』と皮膚にヒリヒリするものを感じると、その感じ取った(周囲の望み)通りに止まります。前者は愛で、後者は、自分の力量が足りないために、愛に至れないんだなと感じます。その人達の居場所として触れずにいてあげたいと思うのですが、もしかするとそういった私の感じが卑屈であり、まず愛ではないのだと考えます。悩んで不幸で真面目で、誰からも文句を言われずに守られながら傷つかずにいることは簡単なんですが、もしかするとそれは、日本の崩壊に加担してしまうのではないかと体内細胞から疑いの声がします。そんなときも先生の音と子宮は、そういった全ても包み込み、やさしいです。たくさん人を笑わせたいです。例えば、男性と通じた体は二度ともとにもどらないと悩む美人がいたとしたら、「俺は色んな意味でもっとすごい」と言って笑わせたいですし、そりゃあ前もってわかっていたら汚さないほうが良いし、女性達が今と未来無駄に汚れませんようにと真から祈りますが、色々あってしまったのも人生だと、前に向かいたいです。
真で生き愛を広げる状態のまま人と接することをしなければ辛くなってくるんだなとわかり、願いが子宮の奥から湧き上がってくるままに生きたく、人の鏡に映る自分の姿を掘り下げ、次へ進みます。