全体 次元を超えて
昨日の帰り道で電車に乗っていたら車窓の右側は黒い雲に覆われていて、左側は青空が広がりバラ色の夕日にビルも山も輝いて、不思議な光景を見たように感じました。もし右側しか見ていなかったらと。自分の見ている世界は自分の限界です。まだまだ見えないことや感じていてもわからないことがいっぱいです。人間も自然も変わります。関係性も。自分が思い込んでとらわれている人や関係性、自分の頭が捉われているとしたら全く違うものかもしれません。駅で降りると今年初めて見る積乱雲の力強い雲も輝いて季節が明らかに変わっていることを知りました。
コンサートで命かけて戦っておられる先生、高麗さん。自分は今までのことが浮き彫りになって身を運ぶこともかないません。まして6月の動きは、まるでお手上げで途方にくれているしかないと思っていました。自分の事だけでなく戦う一人としてと考えるとどうすればいいのかと車窓の右側だけをみているように黒雲に閉ざされたような気分になってしまいます。ですが今日目覚めたら「全体」と裡に聞こえてきます。今までも全体という言葉は使ってもいたし、知っているつもりでした。それよりももっと深く広く全体と聞こえます。次元を超えた世界は個人を超えて響いてきます。たとえライブ配信であっても三鷹コンサートの4日目の経験は命の経験でした。目に見えない光の世界のただなかにいました。
普通の暮らしや人の限界を目の当たりにしています。仕事をすることはその限界と向き合うことでもあります。この時に仕事ができることはありがたいことです。ですがそれだけではいられないもっと次元の違う世界で生きていくことが今の自分にできる戦いです。
盛岡の地にも新しい風と光がもたらされます。ありがとうございます。