全て
府中ウィーンホールでのパイプオルガン&ピアノコンサート。
コンサートの始まる前よりあった一抹の寂しさというのは、全てが終わりそこから全てがはじまる新しい世界への脱出と船出のためであり、そのコンサートを経験した今はよろこびしかありません。
パイプオルガンの演奏から、全てが在り、この世の全てがあり、それは私の全身も身の内も外も一切の不足もないという状態が満ち、全てがあらゆる意味で前進していることを経験しました。生まれつづけ生み出しつづけられているエネルギーは、あらゆる方向やそして世界や次元さえも生み出し超えつづけていくのです。何もかも全てそこには在るので、何もかも越えてゆけるのでしょうか。源の世界に通づる命は、こんなに居心地がいいところはないという経験をします。はっとした時、私の内面が内面に在りませんでした。内面が今までの囲いや枠のある狭きところにおらず、どこへ行ったのかと探してみると、どこもなにも、それは全体とひとつに在りました。内面が外へ出たと言うより、広き世界と内面がひとつにありました。それは広い世界で宇宙のような無限な世界です。コンサートで表現され、成されていることは、自分も含めてあらゆる過去のつくられたものという全てを超えているだけではなく、つくられることすらも今まで生きた人間の発想等では出来ない、小さな人間ではその片鱗をもつかむことも出来ないであろう、世界でした。