KEIKO KOMA Webサロン

全ての歴史と歴史無き未来のため


登場した楽器を1個1個チェックして書き込もうとオンデマンド配信を購入したら16日から一週間の配信だったので、覚えている内容と体感のみで先に書き込みをします。

エレキギターかと感じた楽器がありまして、太鼓の前なんですが、私はあの音で「ここにいてもいい」と言ってもらえている感じがして、「むしろいなければならないんだ」と体全部の余計な力が抜け必要な力がみなぎってきました。ひずんだエレキギターの音はもともと好きな上に、昔からだいたいは「居場所がない」と感じているときに聴くことで気持ちを発散させるサウンドであったために、なじみがあったと考えられます。そして続く太鼓で完全に背筋が伸びました。先生は、だれも知らないことをたくさん知っていると感じます。例えば誰の中にも「伝わらないので諦めている感覚」ってあると思うんですが、諦め続けているうちに自分ですら忘れかけていた感じを先生は表現して下さります。どうせ誰もわからないんだし、別になかったことにしてもかまわない、仕方が無い、と長年思ってきた、それも私だけのことではなくて恐らく先祖代々感じてきた、言葉にすると「歴史特有の何か」となってしまうんですが、そういったものを先生がすくい上げて下さるので、私はこれまでもいだきしん先生についてきました。

先生さえいらっしゃらなければ、わかってくださらなければ、別に、無かったことにしてしまっても構わなかったこと。これまでの社会の中で周りに合わせて生きていくためには必要ないから。でもやはり先生がいらっしゃったので、忘れてはいけないことがあるんです。そのあたりのことが、言葉にしたことがないので、「ある」ことはわかるんですが、なんと言葉にしてよいものか・・・。恨み的な感じとか、その感覚が無い人から見たらどう感じるのかという心配とか、混濁しているので、整理してみたいと考えています。

サキソフォーンの音はがんとさんじょうの雪山を、(こう感じたここが別の楽器だったかもしれず怪しいので確認したかった)馬の蹄の音や高句麗軍団のぬくもり、大自然の中で生きるたくましさを、強さを教えてくれ、靄が取り払われました。

大国、高句麗。この舞台にあらわれるすべての要を為す王の直系子孫であれば、そりゃあ浄土ヶ浜で微笑むお嬢さまは普通に生きられなかったわけだ。迫力の舞台を前にしながら、なぜかどこかで拝見したお写真がよぎり、そのギャップというか、やはりこの方がここまで生きてこられたこと自体が奇跡なのだなと改めてわかりました。信じられない!こんなことが現実にあるなんて・・・。まるでファンタジーや漫画の世界ではありませんか。もちろん信じるも信じないも、目の前で真を経験しています。

ラストのお父様の存在はイントロだけでもうわかるようになり、クラリネットが鳴るとお父様の無念の背中とそれを見つめる幼いけれどもとても優れた心を持つ幼い頃の高麗恵子さんが浮かび、涙しました。お父様もこれほどまでに浮かばれると想像なさったでしょうか。スイカのエピソードですとか、ちょっとしたお人柄を感じさせるお話の記憶からも、人はズルをしたり、搾取をしなくても強者になれることを教えて下さった、そして今もともに在り続けて下さる高麗源一様と高麗恵子さん。この時代まで途絶えさせずに届けて下さった高句麗魂。

パイプオルガンの衝撃や、もしかしたら獣や化け物の詩かな?と感じたところで違う詩だったりするところや、意識的に覚えている目立った記憶もほかにもいくつかあります。

オンデマンドでまたお聴きします!

ありがとうございました。

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