全ての元なる存在
第一部「悠遠なる太古の世」
次々と降り注ぐ光の飛礫。
いのちに取り込まれます。
滅びゆきそうないのちに注がれた光。
やがて人々は語り、語らいます。
いのちのはたらきは言葉にあらわすこととひとつになり、
音楽が生まれ、人々は幸せに集います。
そして今、新たに光の飛礫は音になり、皆様にお届します。
第二部「愛の園」
愛の園に足を踏み入れたことがございますか。
見たこともないような美しい花が咲く 香しい花の数々。
孤独を癒してくれるようなひととき。
独りで入ってはいけないことを学びます。
真の愛は何でしょう。
むかしむかしは、愛のはじまったむかしは、愛がわかり、降り注ぐ光につつまれて
対立までも自ずと新たな愛を育んだことを想起します。
昨日の歴史的ジェンダー講座の衝撃はあり続け、生命は新しく生まれ変われる希望を感じ、今日のコンサートを大変楽しみにしていました。一音一音が「次々と降り注がれる光の飛礫」を感じ「滅びゆきそうないのちに注がれた光」は、今私の生命に注がれていると感じ、ありがたさが生命に染み、感謝よりありません。「いのちのはたらきは言葉にあらわすこととひとつになり、音楽が生まれ、人々は幸せに集います」とのメッセージも、太古の世で起こっていたことが今ここで先生が存在する今の世で経験させていただき、なんてありがたく幸せであることかと感動し感謝でいっぱいでした。生命全てが癒されました。情けないですが、今日も体が痛んでいましたので、生命全体に光が注がれ、癒されていることが骨身に染みありがたく感謝しました。今まで知ることのなかったやさしいことを生命全てで経験しました。私は神様の元になる存在とは今ここにたくさんの光を注いでくださり受容してくださり痛み歪んだ生命を癒してくださっているここにあらわる存在ではないかと初めて出会う存在に心身安堵しました。キリスト教で知った神、今まで出会った神とは全く異なるこの存在こそが神と呼ばれる存在の元ではないかと感じたのです。生命丸ごと任せていけて、ただただやさしく生きていけるのです。こうして居れるだけで涙込み上げます。名前もつかない神聖なる存在の元なる存在に出会え、本当の人間になれる希望と喜びを感じ、心はとてもすこやかでした。
第2部は「愛の園」をメッセージにて詠ませていただくだけ美しい園に行かせていただければありがたい気もちとなりました。最後のメッセージ「対立までも自ずと新たな愛を育んだことを想起します」が心に在り続けました。ひとりでは入ってはいけないことを学びますとのメッセージもございましたので、どのような経験が起こるかと感じながら演奏を聴かせていただきました。対立、戦いの意識ばかりが浮き出てきます。愛の園に入れていただけるとしても入る前に敵はいないかとまわりに警戒する意識が浮き出てくるのです。演奏が激しくなると牙を剥いた猛獣のようなものが出てきたように感じ、身を任せるよりありません。私は自分をも攻撃するという体の反応がありますので、戦いとは何かを考え続けました。恐怖からあらわると感じてなりません。ここに書かせていただいて良いのかと考えますが、一神教の神は恐かったのです。昨日のジェンダー講座での体の反応も思い出し、身を任せるよりありませんでした。愛によって生まれ変わる経験をさせていただいていることに感謝しました。一部で出会った初めて知るすべての元なる存在に生命丸ごと受け容れていただきましたので、人間は光注がれ、光に抱かれ生きていけると感じました。女性性を潰されたとは大変なことであると今日になると更にお話しをより理解し、事の重大さに驚くのです。過去の歴史を受容し、一人一人の人間の生命を光満ちる生命としていただけますコンサートの経験がありますので、何があっても生きていけます。世界中の人間の内にある人と対立し戦う意識が集まり、先生が一斉に愛に変換してくださっているとしか考えられませんでした。いつも愛の演奏と呼んできました演奏は今日は、強く大きな愛の波が地球上に生まれ、地球中を覆うようにし包み込み、地球全体を愛に変える大迫力の演奏でした。愛の園は世界中の人と一緒に入るのだと感じ、やさしいことに涙します。先生のはたらきが人類救済と生命をもってわかります。ただならぬ経験を我が身でさせていただいています。しっかりと受け止め、皆が生きていける良い世界を作っていきたいと望みます。明日もコンサートがありますことが希望です。ありがとうございます。