全てに感謝
仙台コンサートの会場の1席に座らせていただき、尊い先生の演奏をお聴かせいただけますことに深く感謝します。第一音が内面に飛び込んできた瞬間、涙こみ上げました。今日も、動けない程の苦しみに襲われ、先生がコンサート会場からピアノを弾いてくださり、電話で聴かせていただき、助かりました。身に受けていた苦しみは、生命を犠牲にしていく元と私は受け止めました。先生からははっきりとした言葉でお聞きしましたが、本当のことであっても言葉上だけで捉えることしかできなくなった現代人には誤解されるだけということも今になれば甚くわかっていますので、ここに書くことも出来ません。このような現実は悲しいことと今日程身にしみたことはありません。先生の奥様が世界全体の苦しみを身に受け、倒れられる場面を一日何度も目の当たりにしてきました。今日はこのことが鮮明に心にあり、胸が裂かれる程辛いと感じました。私も全体的なことを身に受ける時、死んでしまうのかと感じる程、言葉によっては表現しつくせない苦しみを経験します。次世代が生きていける世界を作れるなら。。。とここで収めようとした時、空間から「俺は犠牲にならない」とおっしゃる声が聞こえ先生が以前おっしゃっていた言葉を思い出しました。私も犠牲にはならないと心に決め先生に助けていただき、仲間に車に乗せていただきやっとコンサート会場まで辿り着けました。
第一部メッセージ「はじまり」
「ただ生きているのではなく良く生きようと希求した時が歴史の端緒、すなわち事のはじまりです。ある時、ある処で、古事記におけるアメノミナカヌシが顕れた時、同時に高天原がはじまったと記されています。次々と新たに生まれ神話は形を整えていきます。この地上では不安定な情況が続いたのですが、古事記において「神の子」が生まれた時、ようやく安定をみます。世界中で、古事記で云われているようなことではありませんが、神が介在し「神の子」が誕生し歴史は大きく転換します。良く生きて、今までにない幸せのはじまりを希求します」
ピアノの音は哀しく、ロマンに満ちています。ブルーの光が見え、イエス・キリストの悲しみ、愛を感じました。生命あり、この表現をお聴きできますことの光栄、どのような言葉によっても表し尽くせぬ幸せに深く深く感謝し、涙ばかりこみ上げます。ある場面ではイエス・キリストが十字架に架かる時に共に在った存在に出会いました。現代人である私が十字架に架かるイエス・キリストの気持ちをどのように想像しても失礼なだけであるとそれだけはしてはいけないこととし長い間目の当たりにすることも出来ずに生きてきました。人間であればわかることよりないと考えてきました。十字架でずっと共に在った存在に出会い、胸が張り裂けんばかりに震え、悲しみ、愛が入り混じり、嗚咽となりました。
次には心臓側からムハンマドが現れました。ムハンマドにあらわれたアッラーが現れます。イスラム教ではアッラーが唯一の神ですので、このようなことを書いてはいけないのですが、私は、イエス・キリストにはたらいた神とムハンマドにはたらいた神が見えたのです。最近のコンサートにて古事記より日本の神、祭祀を学ばせていただいています。そのように考えると、生まれて始めてイエス・キリストの存在、ムハンマドの存在を理解できることができ、とても頭が整理され、生きる道が見える喜びが生まれました。このことをわかった瞬間に、私の内で右側と左側がつながったのです。肝臓と心臓がつながり、体全体がひとつに融合し、生きていくはたらきが強くなっていける喜びが生まれました。同時に好太王様が望んでいる世界であるとわかったのです。最近の身に受ける苦しみから抜け出すことを日々必死になって考えています。その時に好太王様が鍵となることが見えてきたのです。今日ははっきりと好太王様がやりたかったことがわかりました。今、生命在り、先生に出会えた私がやらずして誰がやるのかと考え、私がやりたいことであるということもはっきりとわかりました。右側と左側がつながった時、好太王様が喜び、生き返ったことを経験しました。
第2部「はじまりの愛」
「はじまりの愛」とははじめての愛に気づく時。今まではより良く生きようとしても愛を犠牲にせざるをえなかったか、あるいは愛は甘い言葉と言われてよくわからないまま否定されていました。今や、愛の真価を問われます。新型コロナ禍では、愛は、ますます甘言葉であり時代錯誤と言われかねません。そうでありながら「はじめての愛」をしっかり経験してもらうことが新型コロナ禍を乗り切り、未来に向けてのお一人お一人、新たな歴史を創る最も大切な時となりました」
ピアノの音から愛を経験します。それも「え」の「あい」を経験します。確かにはじめての愛です。全体とひとつでありまるで先生のようだと感じます。一部ではイエス・キリストが宇宙の生まれる3段階前とひとつになっていると私には見えました。ムハンマドも、そして世界の神々も。。。と神のことを勝手に表現することははばかれますが、見えた世界は表現だけはさせていただきます。宇宙の生まれる3段階前によってより、世界の問題は解決を見ないとは常に見えることであります。今日は世界と宇宙の生まれる3段階前とがひとつに融合したので、解決への第一歩が始まったと感じ、とても希望を感じます。先日のアントレプレヌールサロンの時に先生は私の右目は見ている世界が違うとお話くださいました。右目で見た世界から生まれた言葉は裁きであり怖いよ、とおっしゃいました。白黒はっきりとつける言葉であると感じています。右目で見える世界を抑え込んでいる体の苦しみを自覚しました。今日で抑えることは止め、押し出していくことを先生の音とひとつになり、体で覚える事ができました。先生に出会ってもすぐに元に戻る人やどんなに良い経験をしても成長できない人と一緒にはたらくことは今後はしないと考えます。好太王ははたらかない蛮族と一緒にいることが嫌だったんだと一言何気なくおっしゃった先生の言葉にやたらに共感しました。体の苦しみが教えてくれました。真の自分で生きていかずしては真に生きていけないことを日々苦しみから教えられます。今日は、大変学ぶ事多く、長い間の問いの答えを見出しました。イエス・キリストのこと、ムハンマドのことを生命をもってわかることができましたかけがいのない経験をさせていただき、自分の内で右と左がつながり、支えが作られた体感があり、とてもうれしくありがたく、涙こみ上げます。一夜明けた時、私は何を感じ考えているかが楽しみです。先生に助けていただきたくさんの人に支えていただき、生きてコンサートの1席に座れ、生のピアノの音を聴けますことにただただ感謝よりありません。神秘的な響き、艶のある音色、聖なる生命、存在の悲しみ、愛をそのまま表現してくださる音を生きていけるとは身に余る光栄と頭を垂れます。ありがとうございます。