光顕し生きていく
京都コンサートに参加させていただき、この度はこの上ない経験をさせていただきました。
一部ではお聞きするメッセージを心に、これからの在り方生き方は、三鷹の二日間のコンサートにて、禊をして真から顕れる自由を得ることができました故、別世界に降り立ち生きていけることの嬉しさに満ちます。ピアノにつづくパイプオルガンの音にて、胸の内から、この国をもっと良くしていきたい気持ちが心の叫びとなりました。京都はキーウ市と姉妹都市であり、多額の寄付が集まり、京都府に受け入れの避難民へと、ウクライナへの支援金の活動がなされていることも、コンサート前に会場においてありました新聞に知ることができ、いまだ戦争が続いていることに、京都全体の人たちは少しも安らいで過ごすこともできない状態ではないのだろうかと案じました。ピアノの音からしだいに川が見え、水がさらさら流れていく様子が見え、川が続く先から満点の星空がみえる大宇宙に溶け込みました。パイプオルガンの音では光に包まれ、もうなにもかも表現できませんが、魂号泣となり終了しても涙がこみあげておりました。
二部の演奏では、時間のない神とひとつの瞬間を経験します。生まれる言葉は、自己存在の証明、です。先生と出会うことの意味がここで証明され、あれやこれやとここまできたことの過去を振り返っての哀しみや被害者意識に陥ることをしてみたり、など、何の意味もなかったのだ、と心安らぎました。今までも頭で対象化する意識は、言葉にしても、それは解釈言語であり、道は拓かれなく、身の重荷となることだけで、何の意味ももたなかった、と、コンサートで生まれる心の叫び、解決言語こそ、自由になった内面で、活かしていく本音、自己を顕し、光顕し、内なる神とひとつに生きることが生きるすべてであることがわかりました。ありがとうございます。