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光の吹雪の中を進む


9月13日、盛岡のコンサートに参加させていただきありがとうございました。息子はまるで私と連動しているようで、コンサート終了後私が高速道路のインターで仮眠をとった時間から、一回だけ授乳をし、あとはずっと寝こけています。私の体が、内面が癒される時は彼にも通ずるのでしょうか。今回はごみを運んでいただけるなんて。何から何までお世話になりっぱなしです。宮沢賢治は今に生きていると感じました。前回の7月7日のミルキーウェイのしずくを引き継いで、今夜もまた銀河鉄道は動き出しました。盛岡へ到着するまでの高速道路の運転中に、高麗さんのビデオ講演会をお聞きして、講座の2日目の、お一人お一人のいのちのひかりの音は誰しも例外なく美しいという尊いお話を伺いました。自分の時、光を見た、大きくはじける光、その瞬間の音はどうだったか・・・その瞬間に至る直前までの音は覚えているのです。その音は雷鳴轟き竜巻のように地を掘り、嵐のように掻き分けて行き、その中でぎゅうぎゅうに詰め込まれた光が息をしようと必死になり、うーん、うーん、と弾け飛ぼうと押し込められた中から、溢れてきて、私は「こんな経験はしたことがない」とそう感じたのですが、あの音は、命の光の音だったのか、それとも、押し込められた光を覆っていた砦の音か。どちらにしても、今日はその時の轟きの音に近い音を感じた前半のピアノ。高速道路では盛岡のインターに入る15分くらい前に、お清めのような豪雨に遭遇し、水滴の中をまるで吹雪のようなホワイトアウトを経験し、聖と俗の境をくぐって到着した気持ちとなりました。洗礼、俗の垢を落とし盛岡へ入るころには、さっきのどしゃぶりはどこへやら。傘を持っていなかったので、晴れて良かったのでした。久々の会場へ入り、これまでずっと見えてこなかったものたちがなぜかはっきりと見え、コンサートの開始を待ちました。ピアノが始まってしばらくすると悲しくて仕方がなくなり、逸らすわけにもいかないので、あぁ悲しいと感じながら音に耳を傾けていました。世間に期待していた気持ちや大衆を信じたかった気持ちが大きく音を立てて崩れていきました。パイプオルガンの音では芯から癒され、とにかく体の左側が痛く重く、一瞬一瞬はとても長く感じるけど、その集合体はやはり一瞬で、一部はあっという間に終わっていました。第二部は、まるで吹雪の中を進むようでした。雪の粒と粒の間はほとんどなく、ただひたすら薄目を開け、息もうすく、それでも辿り着く場所があるから歩みを進められる。宮沢賢治という人を想いました。貧しい農民の暮らしを良くしようと、生きた人だったと感じ、その魂は現在も生きている、いだきしん先生のいらっしゃる時代だから、生きると感じました。ドラマティックな演奏をありがとうございました。

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