光あらわし
何年前だったでしょう。北上でのコンサートが終わりホールを出た瞬間「もうこの世で生きるのは面倒になった」と笑いが込み上げつつ呟いたことがありました。今思えば神々の世界を初めて知り、真の目覚めのはじまりだったかもしれません。10月1日以降、神々あらわる場に居させていただき、縁と意志あらばどの様な状態であっても着席できるという いだきしん先生のコンサート会場は、浄も不浄も受け容れ真によみがえりとなる、途轍もなく尊き場でありますとあらためて頭が下がります。
メッセージから始まる第一部を経験させていただき、本来の人間の姿ではない、情けない有り様は金輪際しないと心に誓っておりました。空間が繊細な光に満ちていく光景を忘れません。真に 美しい を知ります。真に美しい人間が生きるだけで世の中は変えていけるとわかるのでした。御姿といっていいのかシンボルのような光の大柱に圧倒されている中演奏は終わり第二部を、心身ただ静かに深くし待ちました。更に更にと、静かでありながら迫力に満ちた第二部のメッセージは、とても小さな音でありながら驚くほど強力なエネルギーを放つ、先生から奏でられるピアノの音のようと感じました。小さくてもエネルギーのある音をいつか弾くとの内容をかつて先生は話されました。そんな事があるのかと驚きながらも其の時をずっと楽しみにしていました。いつからか実現して下さった其の音に包まれる幸せに命あり恵まれ、しかもこんなに頻繁にコンサートを開催してくださるようになるとは夢にも想いませんでしたのでありがたいばかりです。場も空間も、自分にはとても感知できない次元さえも正確に見え、言葉で表現して下さる高麗恵子さんの書き込みを読ませていただく事が楽しみでなりません。ビデオ講演会やメッセージ、即興詩に海外サイト、何処もかしこも感動します。またとんでもない3日間となりました。新たなる国生みのとき、胎児期よりの今日までには無かった、新たなる光を身の内に経験しました。真あらわし生きるはじまりをありがとうございます。
本日も、よろしくお願い申し上げます。