5月は地元の介護の会と重なり配信によりましたがこの度は参加かない、先生にお目にかかり、直接お話を聴け全身で聞きました。死について、はだんだん剥がれるように死がとらえられそうになってきたせいか、柳田國男が当時書こうとしたその意図も、これまでとは違う読み方ができそうで、そうなると、森羅万象がまるで世界がウラを返すようになってきます。対象化しない世界とでもいうのでしょうか、身のうちに在る、感じるという言葉もまだ距離がある、表現が追いつきませんが語彙は明らかに変わりました。応用コースでは、ズバリ見抜き暴露してくださりありがとうございます。人類の危機のこの期に及んで怠けたい姿勢が明らかになり、それでいて、承認欲求があるとは。しぶとく変わらずにいましたが、この6月の始まりにあってここまで先生がおっしゃってくださり、変わらずに明日を迎えるわけには行きません。ありがとうございます。