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先生あらわる


コンサート前の午後3時ジャストに、幻のコグリョカフェにて最後の方の詩を書き終えました。はじまる前にスタッフにコーヒーを淹れ、笑美ちゃんのさつまいもケーキを8等分しいただいた時のコーヒーとお菓子の美味しいことに感嘆しました。うれしいままに二時間が無事に過ぎてくれました。今日は時が合っていると感じ、喜びコンサートホールへ帰りました。今日のメッセージは何故か合点が行く感覚がありました。皆様の生命の詩を書いていると、いだき講座を受講された方々の生命は清く美しいと見え、感動しました。コンサート前に感じた様々なこともあり、コンサートでは、我がなくなっていく解放感に心地よいばかりでした。パオプオルガンの演奏をお聴きしている時、どこまでも清く美しい神聖なる存在があらわれ、どなた様かと考えました。クリスマスイブでもありますので、イエスキリストと考えましたが、似た感じはありながら、違う存在でした。ただただ美しく生き、自由に生き、人間であることに徹している存在です。ある瞬間「先生だ」と叫びながら気づきました。それからの気づきは次元が変わるものでした。先生はただただ美しく生きておられるので、お会いする私たちは自分の業、自己中心の自我が映し出されます。私は今朝から後頭部が痺れていました。車の中でふとこのことをお話しさせていただいた時に先生は世間に合わせて生きているからとおっしゃいました。そのまま受け止めました。次第に自由となり、我がなくなっていくことがうれしく、解放感を感じ、気持ちがとっても楽になっていきました。演奏をお聴きしていると、我がなければ、人と比較するこもなく、年齢を気にすることもないのだとわかり苦笑しました。我が強いので、くやしくなったり、苦しくなるのです。毎夜、やるべきことをやりきり休もうとしていますが、やるべきことと決めたことが多いので、やりきると朝方までになっています。良いことと考え行ってきましたが、これをやれば良くなるという意識は悪魔的であると気づきます。良くならなければ、何故こんなに真面目に一生懸命やっているのに良くならないのかと嘆いたり、恨んだり文句を言ってしまうので、なんてふざけた有り様かと唖然とすると同時に滑稽で笑いまで込み上げてくるのです。そして消えていくのです。良い世界を作る為なら自分の我などなくてもいいと心底願う自分になりました。するととっても楽になっていきます。ただただ美しく生きておられる先生に人間の我や業がかぶさり、先生が自由に生きることを邪魔していることも見え、申し訳ない気持ちになります。こんなに生命にも先生にも悪いことをし、今までよく生きてこれたと頭が垂れます。後頭部が痺れる位で済んでいるのも、たくさんのはたらきかけにより助けられている故と感じ自ずと頭が垂れます。演奏からは先生の生き方を教えられているようでした。こんなに自由で明るく楽しい生き方ができるのが人間本来の生き方と学びます。イエスキリストも豪快で明るく自由に生きておられたのかとも感じました。そのようにさせない社会、世間というのは悪魔が主であると見えます。先生がただただ美しく生きている生き方は、人間本来の生き方とわかります。先生が先生が生きたいように生きていける世界は平和であり良い世界と見えます。先生がそのまま現ると、次には私の内に、どこまでも透明なピンク色の花びらが重なる美しい芍薬の花が見えました。透明な花の香りがします。先生があらわる世界は人間一人ひとりの本来の在り方があらわるのです。素晴らしい世界です。

第2部のメッセージの最後に、「聖なる満天の美しい夜」と詠ませていただくだけで、イエスキリストの誕生を祝う聖夜を感じ、涙滲みました。本来の人間とし生きていた御方を十字架に架ける人間とは何なのか。。。今までの闇の歴史が見えます。そしてある瞬間から先生の存在がそのままあらわれ、一人ひとりの存在がそのまま現れ、これ以上内面を汚したままでは生きていけない状態となりました。先生の存在が圧倒的に現れ、本来の人間の生き方をしないことでは生きることはないのだということがそのまま見えました。私の表現では先生の勝利となります。どこまでも美しく生きていくのが人間です。先生の存在によってイエスキリストもそのまま受容され、真の存在があらわる時がきたと見えました。作られたキリスト像ではない真の存在にお会いでき、魂震えるばかりです。今日は第一部も第2部もパイプオルガンの演奏にて先生の存在を見ました。その時の音をお聴きになりましたか。聴いたことのない神々しい音の連なりに全身鳥肌が立ち放しでした。会場中も鳥肌が立つように音が鳴り響き、揺れていました。先生の時代がやってきました。本来の人間とし生きる時代です。過去に我の強さは霊魂や霊界に使われていたということがよくわかりました。理屈なく、抵抗したり、自分の思いが通らないと苦しくなったりと、あえて苦しい生き方をしているのです。我を手放せば、こんにも自由で楽しいのです。おおいなる存在に身を委ね、真の自分が現れるのです。人間の生命の光は大宇宙に咲く花のようです。ラストのピアノの音は真白い聖なる雪が天の彼方より舞い降り地上を洗い浄め、神聖なる大地となり、空間も神聖なる光が満ちていきます。神聖なる世界で生きる人間の美しい生命のままに生きる神聖なる時代がはじまりました。先生が全てを引き受け、この世界を作ってくださいました。先生の存在を見た時に先生はいだき講座をなさりたい訳でもなく、人の苦痛を身を引き受けたい訳でもなく、そのように生まれついてしまわれたので、やるよりないことの悲しみを感じました。それによって私達は生命助かり、生きているのです。私も世間に合わせ、人情にもろく人にハマることを望んでいる訳ではないと叫びたくなりました。人様の運命も見たい訳ではありませんが見えてしまうのです。美しい透明なピンク色の大きな芍薬の花が真の自分のシンボルと見えた時、どこまでも自由に美しく生きていきたいのが望みとわかります。やっと時は来てくれました。先生あらわる世界は一人一人が真の自分を表し、実現する時代です。ありがとうございます。

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結工房にて 即興詩9
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